歴史的に検討して上では「衰退していない」というのが著者の主張である。「日本人のしつけが衰退した」という議論は、一昔前の「よい」記憶を、現在のマスコミを騒がせる「もっとも凶悪な犯罪」と比較して、昔はよかったという結論を出そうとするノスタルジックで反動的な動きにすぎない、と著者は喝破する。すくなくとも総体としての犯罪が減少しているのは事実である。
また、戦前の村の社会はしつけなど眼中になく単に家産労働を手伝えば、それでよかったのだ。むしろ都市上流のみが、ある程度教育できる家族であっただけで、それ以外、特に地方ではそうではなかった。地方間格差を考える必要がある、という主張もある。
どちらにしろ「教育する家族」は中流層が学歴貴族願望をもつ近代化の過程において、歴史的必然として現れるものであった。決して社会道徳の向上や低下を単に表すものではないという指摘は重要である。