本来自分にとって喜ぶべきことがあったとき、喜びの感情は自然に湧いてくるべきものである。
ところが、自分の行動の結果を、常に見通そうと努力していると、見通しを考えるうちに、喜びはやがて苦しみに、苦しみはやがて喜びに容易に変化しうることを知ってしまう。出会いは別れを、別れは出会いを予感させる。おそらく、これを無常観というのであろう。
結果の予見は感動を薄める。ダイナミックなシステムが介在し変化することへの感動は常に持ち続けることが出来る。しかしながら自分の生に密接な「自分にかかわる感動」は薄れてゆく。驚きを持つ者は常にいくばくかの純粋さを持つ、という。私とは一体なんなのであろうか?