南への風の道、それは閉ざされつつある

寝たのが遅いので当然起きたのも遅い。午後4時頃である。今日はゼミだったのだが、見事にブッチ。図書館に行って必要な書物の貸し借りと、英語の勉強……のふりして「中国皇帝伝」とかを読んだ。帰りに三田の居酒屋の前を通ったら湯川先生を発見。飲み会からゼミに参加。とりとめもない話をする。が。アルコール依存症な現状はどうにかしなくては。

夕方近くになって、少しずつ雨が降り出していた。酔い覚ましに大手町から丸の内旧「一丁倫敦」を散歩しつつ銀の鈴前に佇む。いまは――あるいは地下になってからであろうか――妙にすれた雰囲気になってしまっている。昔のいわゆる「旅人」はここで次々に発車する夜行を待ったものだったのであろう。いま。くつろぎながら発車を待つべき列車は急行「銀河」と快速「ムーンライトながら」しかない。しかし、それでもあの不細工な銀の鈴の周りでは、ある種穏やかな空気とけだるさがある。銀の鈴待合い所は、なにか、待つものを作りさえすれば、往年の旅人の広場としての価値を取り戻すのかもしれない。南への風は自分の思いである。金色の翼ではないが、想いを想う方向へと飛ばしてゆくこと。それが場所のポテンシャルを高める。

例によって終電近くで巣鴨へ。ジョナサンでひたすら英語と格闘する。なんという知識のなさ!しかし知らない単語をマーキングすると相対的には多いものの絶対的にはすさまじく多いとは言い切れない。むしろ辞書をひく回数は日本語としての美しさを求めて、適切な訳語を知っている単語でもひいてしまうため増加してしまうのだろう。とりあえず読み慣れなくては!

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