井上史雄『日本語は生き残れるか』

『日本語は生き残れるか』。経済言語学という聞いたことのない分野から日本語の将来を考える本。「言語には格差がある」という大前提から始まっているので期待した。しかし残念ながら、発音・語彙・文法という言語の三大要素の難易度から、学ぶコストを導入しているだけで、おそらく「言語経済学」的であろう経済と言語の関連まではとても踏み込んでいかないし、内容的にもほとんどエッセイで、よくいわれていることを繰り返しているに過ぎない。もっとも日本語が発音的にはわりとやさしい方に属するなど基礎的なことを知らない人は読んでも面白いと思う。巻末のローマ字正書法(特にわかち書き)の確立の提言はわたしも賛成である。カナダに留学した後輩ao用にASCII専用掲示板を作ったが、このような狭いコミュニティでも日本語の文章をローマ字で書こうとするとまったく違う書き方をするのに愕然とした。ただし街中の漢字表示のルビなどは、なにもアルファベットでなくても字数的にもその倍のひらがなで充分ではあると思う。なにも外国語はラテン文字だけでつづられるわけではないということを考えるべきだ。おなじ表音文字でもハングルとは比較にならないほど容易である(もっともハングルも読む分にはほとんど苦労しない)し。

断片的にいかがなものかと考えさせるエピソードもある。p.93に「英語はイギリスの一地方で話されていただけ」であったのが、イギリス中に広がったというのは説明としてどうだろうか。「イギリスの一地方」がウェセックスなどをさすならともかく、文脈上これはイングランドのことと思われる。ウェールズだからイングランド語が使われていないのは当然であって、イギリスなのに英語が使われていなかった、のような書き方は問題がある。なぜなら、そもそもイングランドとスコットランド、ウェールズは別の国であるのだからである。だいたい今でもウェールズ語は充分に生きている(ウェールズには英語、ウェールズ語併記の看板がいっぱいある)のだから失礼な話である。著者はこんなことは知っているはずなので、読者を馬鹿にしている。

プリンス・オヴ・ウェールズに関しても次の逸話を紹介している。

イギリス国王が西方のウェールズ地方を征服したときに「次の国王はウェールズで生まれたものにする」と約束した。だれでもウェールズ人を国王に採用すると期待してしまう。

これは次のウェールズ公を、ウェールズで生まれたものにする、といっているのであって、ウェールズで生まれたものをイングランド国王にする、と言っているのではない。イングランドと連合王国を読み間違えた結果である。プリンス・オヴ・ウェールズの称号は、ウェールズ王太子の意ではなく、ウェールズ公の意である。これは単純な話でウェールズは王国ではなく独立公領であるからだ。ちなみにイングランド王太子としてのPrince of Walesとそれ以前のウェールズ公(首長とも呼ばれる)を区別するために、後者はNative Price of Walesと呼ばれる。また前近代において言語は軍事力に比例して広まるというのや、難易度に比例するというのは、テュルク語の普及を見れば首肯できるが、しかし一方でアラビア語がその異常な難しさにもかかわらず、リンガフランカとしての位置を(それもラテン語のように貴族だけの言葉としてではなく!)保ったのはなぜか、しかもそれにペルシア語とトルコ語がまざり、一種の共通言語使用体系ができていたのをどのように説明するのか、という点についてこころもとない。

また参考文献の提示があまりにも少ないのは惜しい。経済言語学という新しい分野を知らしめる意があるならもう少し挙げてもよいのではないだろうか。ついでながら東照大権現もでないIMEの馬鹿さもなんとかならないか。あ。こんなに書くなら書評掲示板に書けばよかった。

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