北へ――!

一年に三回くらいこの言葉を叫んでいる気がする。私はバイク旅を除いて、北海道の旅をそこそこ知っている方だと思う。宿泊ガイドといえば「とほ」と考えている。しかし住むことと旅することには雲泥の差がある。人類学者はフィールドワークにおいてそこに住んでも所詮は「余所者」の問題に悩むが、我々は旅することと住むことの差に惑う。凍る水道管、雪下ろしの苦労、雪解けに舞い上がる砂……そういったものは目にし、話を聞けば、おおむね理解することができる。しかしそうでない雰囲気のようなものは身に付きにくい。

北海道を愛し、旅するものは、おおよそそのさわやかさに焦がれる。しかし、そのことと北海道自体がいま現在持つほの暗さの落差。それはなかなかにつかみがたいものなのである。

九十八年の晩秋、私が「おおぞら十三号」の車中で聞いた六十代半ばの男性のライフ・ヒストリーは、悲しさの漂う、しかしそれでいて妙にあけっぴろげであきらめたかのような口調で語られた。彼は幾春別出身。幾春別は炭坑町であった。徐々に細っていく街の活気、そしてその後札幌に出た後の、定職についたりつかなかったりの生活と冬の描写は心を打つものであった。詳細を語ることはできないが、決して彼の語りの世界の背景が遠く過ぎ去ってしまったわけではない。観光のまなざしにはなかなか入ってこない部分もあるのだ。いまだに北海道は生活保護受給率は日本一であり、さまざまな社会面の報道にも心を痛めるものが印象として多いように思われる。北海道では「左」が強い。それは故のないことではないのである。

しかし、そのほの暗さがあるからこそ、美しい大地に夢をかけることができる。いやすことができ、迎え入れるエスプリを持ちうる。五月六月、札幌はリラの花咲く一年でもっとも美しい季節にはいる。ワールドカップでしばらくは喧しいであろう。しかし美しい季節であることにかわりはない。

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