電柱電線論 第I

「東京の空は、狭い」とか何とか言って、建物や人の多さを論じ、さらに都市と農村という伝統的二項対立にもちこむような議論が、繰り返されています。この場合、第一段階の「東京の空は、狭い」のは、人と建物が多すぎるせいだというのは、あたかも共通認識であるかのような印象を受けます。

しかしながらその点についてもう一度考えてみましょう。「東京の空は、狭い」という言葉は、空を見上げたとき、その視界が狭い、ということを表しています。単に直立して前方を眺めたときに、視界が狭いのは確かに建物があるせいです。建物が集まって出来ているのが現在の都市の姿である以上、それは仕方がありません。このこと自体を美しくない、と感じるのならば、議論の余地はありません。しかし論じられているのは、「空の狭さ」です。ということは、建物が集まっている都市というあり方そのものには、譲歩の余地があるということです。では、はじめに戻りましょう。なぜ「空が狭い」のか。

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