南川高志『ローマ五賢帝』

しばらくローマから遠ざかっていた。実は、五賢帝時代の研究者が日本でほとんどいない、ということを知る。非常に意外であった。養子皇帝制というのは妙だと思っていたが、やはり。帝国に関しては没落論の影響か、五賢帝時代以外は暗黒帝国という印象さえある。それを五賢帝時代の実像を描くことで、相対的に他の実像をも見せることになるだろう。

著者は、実は五賢帝時代の基礎をなしたのは、ドミティアヌス帝であったと考える。従来、暴帝と考えるものたちを、色眼鏡をかけることなく、見て行くことを再確認させられる。同時に、ローマ史において、ポロソポグラフィーという手法の重要性を学んだ。

また深読みのしすぎかも知れぬが、目次では第一章が「訪れぬ光-五賢帝時代の始まり」とあるが、章の扉には「訪れぬ光-四賢帝時代の始まり」とある。本文中のネルウァ帝の描き方から考えて、妙にわざとらしい。なぜネルウァが賢帝と呼ばれるに至ったか、説明が求められる。

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