特選版。私たちの第二次世界大戦へのまなざしは、冷戦構造のなかで、あまりに観念的なものに固定されたように見える。その一つの象徴が東京裁判であった。それは国民の真摯な反省の賜物でもあった。しかし、こと歴史的政治的な視角から言えば、失ったものは非常に多い。
その第一は、はたして第二次世界大戦をめぐる日本の政治とは何だったのか、そして日本は何に失敗したか、である。情緒的で、観念的な反省の材料がA級戦犯に析出しているとしたら、第二次世界大戦をめぐる現実の歴史が凝縮されたのが、BC級戦犯であったことを本書は明らかにしている。
著者はBC級戦犯に関する起訴事由の典型を四つに分類する。そして、それぞれの起訴事由が特定の地域に集中することを指摘し、第二次世界大戦をめぐる日本の戦域が4つにわけられるとし、そこから第二次世界大戦における極東戦線の構造を明らかにする。
本書は、単なるBC級戦犯の犯した犯罪の残虐さを強調だけの書でも、BC級戦犯裁判の不公正さを糾弾するだけの書物でもない。第二次世界大戦極東戦域をめぐるきわめて政治史的な分析である。その意味でタイトルに示されるBC級戦犯は、議論の入口にすぎない。
第1部では、第二次世界大戦の極東戦域の構造についての議論が凝縮されて展開されている。すでに言及したが、日本の戦争の戦域は、満洲、中国、東南アジア、西太平洋の4つであったことが指摘される。そして歴史的には、日本が満洲の地盤を固めるために中国に戦争を拡大し、その中国を追い切れないとなると英仏蘭の勢力圏である東南アジアに手を出す、という目的と手段が逆転した政策を追って行き当たりバッタリの戦争を遂行したことが明らかになる。
その上で、著者は「工業力の差」「技術力の差」に軍事的敗北を即座に結びつける議論の拙速さを批判する。そのような差は、すでに戦争突入当時、陸海軍ともに知りすぎるほど知っていたはずであり、問題は日本が持てるリソースを戦略的に有効に配分できなかったことであるという。それがなによりも終戦時に東南アジア、中国に残された大量の兵力にあらわれている。この戦域にかかわるBC級戦犯の裁判が現地住民に対する虐待を主な起訴事由として行われた原因は、まさに東南アジア戦域はまともに戦場にならず、戦時国際法違反を起訴事由とできなかったことを示している。つまり東南アジア戦域は、連合軍に放っておかれたのである。
合衆国が戦ったのは唯一、西太平洋戦域であった。合衆国軍はオーストラリアからフィリピン、沖縄を経て本土へ向かうマッカーサーライン、太平洋の島々を北上し、マリアナ諸島から戦略爆撃攻勢に出るニミッツラインの二つを設定した。この二つのラインは西太平洋戦域に集中し、合衆国軍はこの戦域だけでしか戦っていない。ところが、日本軍は、四つの広大な戦域に戦力を分散させていたのである。この時点で二正面作戦どころか日本は四正面作戦を遂行していた。おまけにあまりに広大な戦域を結ぶ海面を掌握できず、内線の利も消失していた。したがって、とんでもない遊兵を作っていたわけで、敗北は当然であった。戦後の第二次世界大戦論が理念的に過ぎたのは明かであるが、同時に戦史的な分析も戦術面に偏りすぎていた。本書のような戦略的戦史分析が欠けていた、あるいは嫌っていたことは、我々は認識しておいてよいように思える。
その中でも特に対米英戦勃発後に日米双方の誤算があったことの指摘は重要である。いうまでもなく第二次世界大戦における連合国にとっての主戦場はヨーロッパ戦域であった。したがって、ドイツ降伏後までは合衆国は日本を受け流す政策を採るはずであったし、日本も東南アジア資源地帯奪取後は守勢に入り、来るべき決戦に向けて、武器弾薬兵力その他の戦力資源を蓄積するはずであった。ところが米にはマッカーサーがオーストラリアに留まり北上を画すという誤算、日本には海軍がラバウルから、ソロモン諸島方面にむけていたずらに進出してしまうという誤算があった。ここに双方の戦略は崩れたのである。
ほかにも重要な指摘がいくつかある。たとえば、暗号分析の技術力が日本の機密情報流出につながったという一般的な技術決定論的情報戦敗北論については、もっと卑近なところに問題があったとして反論を加えている。情報が漏れたのは暗号以上に、日本軍が戦場で大量の機密文書を残してしまったこと、場合によっては将校が作戦遂行要領などを身につけてあるいており、彼らが戦死しているなら残された軍服のポケットからいくらでも機密情報が採取できたこと、さらに例の「戦陣訓」に生きて捕虜とならないなどと不適切な項目を設けてしまったため、日本兵は一度捕虜になってしまうといくらでも情報を正直にしゃべりまくったためなど、ソフトウェア面での問題を数多く挙げている。
さらに飛び石作戦の対象とならず本土と切り離されてしまった日本軍の自活の様態、空母機動部隊と比較してより高い基地航空隊の重要性、BC級戦犯裁判の実際、BC級戦犯裁判をめぐる連合国の政治など、重要なトピックが凝縮されている。本書は新書とは思えぬ充実した一冊といえる。