終わりそうな夏休みを悔いても仕方がない。なにしろ今週末はイスラム史のゼミの合宿であるのだから。課題は1万字程度論文を書くことである。実はいまこれを書いている段階で、テーマも決まっていない。イラン・イスラーム革命と日本の双方向関係を見てみたいという甚だ大まかなことしか考えていない。図書館もすでに閉まった。万事休すである。というわけで適当なものを提出するしかない。発表、ペーパーの作成だけだったらともかく、論文はすでに不可能。私の怠惰さはここにおいて再び自覚されることになってしまった。
とりあえず史学会(東京大学)の「史学雑誌」の5号に毎年掲載される前年度の歴史学会回顧を1979年のものから全部読んでみた。ここでいくつか感じたこと。
実は、イラン革命の総説的な書物は日本語ではほとんど出版されていないようである。イラン革命がおこった直後はあまりにジャーナリスティックな話題として避けられたためであろうか。その後、アメリカ大使館占拠事件が起こってからは日本の報道もアメリカに追随するかたちになりイラン=反米構図にのっかってしまった。論としてはそれへの批判(サイードのオリエンタリズム批判の亜流)や、イラン革命をさらに一般化して全体的な「イスラーム原理主義」にファクターが移り、イラン革命の個別研究はなくなっていく。一方でジャーナリスティックな「原理主義」観批判としてイランを歴史的に見ていく立場ではむしろパフラヴィー朝が倒れてやりやすくなったためなのか、第一次世界大戦前後になるイラン立憲革命研究が主流となってくる。さらに国際政治学的には革命からほぼ連続しておこったイラン・イラク戦争、湾岸戦争へと移っていき、中東地域レヴェルの話となってしまった。経済学的な成果はイスラーム経済というわけのわからない体制であり、かつ戦時下ということで成果はほとんどないように見える。そしてハータミー師の大統領就任からの雪解けムードになだれこみつつある。もちろん地域全体のことの連続面の一つとしてイラン革命を見ることは重要であるが、逆にイラン革命が前後にどのような影響をおよぼしていったのか、といった主題設定もありえる。ひとつ目の区切り目における研究としてイラン・イスラーム革命の学際的な成果が必要とされているのではないだろうか。