本書はビザンツ史の概説ではなく、コムネノス朝のマヌエルI世コムネノス(在位1143-1180)の時代史である。その記述はコンスタンティノープルの都市社会、宮廷の貴族社会、帝国の国家戦略に及ぶ。
コムネノス朝はバシレイオスII世帝死後の混乱した帝国を再び「地域大国」として復活させた王朝、そして、テマの独立自営農兵民に基づく皇帝独裁官僚制国家から家産制貴族集団指導体制国家へと帝国を変質させた王朝と考えられている。コムネノス朝は、アレクシオスI世帝、ヨハネスII世帝のもとで繁栄した。しかしマヌエルII世帝は、ユスティニアノス帝の「世界帝国」をめざして、無謀な遠征を繰り返す。マヌエル帝は、先帝たちの残した遺産を食い尽くし、第四次十字軍にコンスタンティノープルを陥落させるまでに帝国を疲労させた皇帝として記憶されている。
著者はこの見方に一石を投じる。ビザンツが昔日の世界帝国ではない以上、比較優位の態勢を維持せざるを得ないのが現実であった。マヌエルは「幻想の世界帝国」という政治的虚構をよく知って、その効果を最大限にすることを目指しており、それは合理的判断であったと著者は指摘している。マヌエル帝の世界戦略は傍目にも複雑であり、宮廷はコスモポリタンな雰囲気に包まれていたという。
彼の後のビザンツの衰退はむしろタイミングの問題であった。そのタイミングとは「制夷以是夷」戦略が一部で破綻を来たし、ビザンツそのものが戦線の表に出ざるをえないことになってしまったことである。原因は、分裂を策してきた夷の一部(たとえばルーム・セルジューク朝のクルチ・アルスラーン)があまりにも強大になってしまい、制させるための夷が不在になってしまったことであった。そして家産制国家の宿命といえる貴族集団の量的増大によって家長としての皇帝の目が随所に届かなくなってしまったことも重なった。
本書は、これまで事実無根という点から排除されていた文学作品も当時の心性を知るための社会史資料として用いている。この点にも柔軟な歴史家の目が注がれており、好感できる。