編集の責任

1月号を責了した。印刷所での時間は2日と限られている。この段階でどこまで文章を訂正すればよいのか? どこまでスピードのある記事を掲載できるのか。一方でどこまで正確か。このせめぎ合いが常に存在している。そこにある自分自身の才能とそれによって実現できる最高のクオリティを求めるのか、あるいは可も不可もなくリスクを避けて発行ということだけを考えるのか。

ギリギリの状態というのは、いろいろなことを私に教えてくれる。言葉の的確さがいかに重要かもわかる。私一人で作っているわけではないのだから、さまざまな指示と報告をなさなければいけない。印刷所にいるチームが状況をどのように捉えているか。それは私の認識とは必ずしも一致しない。そして一致していないとき、私は言葉の重要さを思い知るのである。経験的に得た私の感覚が必ずしも共有されていないとき、状況の判断には齟齬が生じ、結果として重大な時間の遅れとなって現れることがある。リーダーはこのときにこそ必要なのだろう。私がそれにふさわしかったか?私一人で新聞をつくり、私一人が決定をするのは非常に簡単だが、物理的な無理がある。そんなことは誰にでもできる。組織をいかに動かすかが勝負なのだろう。いやになるほど思い知り、私自身の反省とした。先輩からそして後輩から同級生から常に教えられることは膨大だ。

どちらにしてもやることがあるとあっさりと時間は流れすぎてゆくものだ。1月4日から今日まで目の回るような速さで時間は過ぎていった。とりあえずせっぱ詰まってうろうろしていたことだけを覚えている。

ところで本日付けの日経からX-NIKKEI。相変わらずおもしろいことをいってくれる。東京第14版31面「00年代新成人の消費力」だ。レイアウトが斬新なのはあいかわらずであるが、81-86年生まれの「プリクラ世代」は人口が少なく、文化的経済的「満腹」感を味わい「グルメ」志向であるとし、一方で71-76年生まれは人口の多い「団塊ジュニア」で横並び感覚を重視し突出を嫌う、と分析する。ここで私のような78年生まれは一体…… という疑問が湧いてくるのだ。私たちは教育制度や受験制度はては就職まですべてが「過渡期」に偶然あたってしまっている。順調ならば21世紀最初の大学新卒にして新入社員である。社会的な現象をすべてジェネレーションに押しつけるのはどうかとは思うが、私たちの世代というものがどのように語られるか。これは極めて興味深い。うまくすればマスコミの作るステレオタイプにはまらない多様な特性を持つ世代となり得るのではないだろうか。

ついでだが、この面左にイランのアッバス・キアロスタミ監督の「風がふくまま」という映画が紹介されている。この映画は地方に取材に出た記者が携帯電話に振り回され、便利なはずの携帯が仇になる、という物語だ。実は発展途上国では固定電話の設置に必要な資本の不足から携帯電話が先進国同様爆発的に普及する傾向がある。映画自体もよいが、あえてX-NIKKEIにこの映画を紹介した日経編集部に敬意を表したい。

夜9時45分からの「日本映像の20世紀――北海道前編」を見る。描き出される明治から戦前昭和までの映像は現在の「北海道」のスタイリッシュな緑の町、雪のエンターテイメント、ヨーロッパ風の田園とはまるで違う姿を映し出す。鬱蒼とした緑に深く包まれた暗闇とも言える原野を黙々と開墾する入植者たち。鉄道、道路を切り開く労働者たち。彼らは鉢巻きにはっぴ脚絆という姿で、泥臭さが漂う。戦前の北海道はまさに「泥臭さ」と言えるのかもしれない。

札幌の町も道庁がひとり欧州の薫風を吹かせているのみで、町は瓦に気でくんだ粗末な家々が並ぶ。今からは想像もつかないかもしれない。北海道の開拓は日本人自身のすさまじいまでの汗と涙と血の結晶ともいうことが出来る。タコ部屋労働者として動員されたのは都市の若者である。私は北海道を旅するときはこのことを念頭に置く。いまでも北の鉄路を掘り返せば、彼らの血が湧き出てくるだろう。常紋トンネルを通過するとき、必ず黙祷するのもそのためである。外国人労働者が強制連行によって動員されるのは昭和に入ってからである。その意味で北海道は単なる植民地とも違うように思える。また北海道を記録したもっとも古いフィルムがフランスの映画社によるアイヌの人々に関する映像であることも象徴的だ。北の人々もまた現在考え直されようとしている。

第一次世界大戦は北の島に「豆景気」をもたらし、戦後は地味の低下による飢饉をもたらした。そんな中で関東大震災の復興のための木材きりだし、帝国のエネルギー石炭の掘り出しが北海道を「生命線」たらしめていた。そのまま時代は、第二次大戦へと向かってゆく。映像はここで切れる。後編で描かれる戦後の北海道は、北海道としてのアイデンティティをどのように描き出すのか。この点を注視したいと思う。

私は北海道に可能性を見ている。これは東京人のオリエンタリズムなのだろうか。

(この項、小池喜孝『常紋トンネル』朝日新聞社(朝日文庫),1986参照)

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