こうも毎日同じパターンで生活すると書くこともなくなる。月曜から試験で、夕方の18時頃に寝て、3時頃に起きて、初めてノートのコピーを読むという日課をひたすら繰り返していた。15時には試験が終わるので、ちょっとリラックスして、寝ている間に録画しておいてドラマを見たり、ちょろちょろっと本を読んで寝るのである。
基本的に私は家でなにかできる性格ではないのだが、ここのところのくそ寒さのせいで、家で生活することを再学習した(笑)。そういえばこのくそ寒い中わが先輩がぐるり北海道フリーパス(往復寝台利用可・往復含めて5日間有効)をつかって旅立った。いま旭川は最高気温零下20度。この中を夜行で移動しまくるというのは信じがたい行為であるが……惹かれる。
しかしながら単位的には大問題であり、二度以上授業に出た科目はない。よって朝起きてからの6時間ほどが勝負であった。嘘八百を適当に書いて乗り切ったつもりではいるが……とりあえず「人事を尽くさずして温情を待つ」である。しっかし、進級できるのかなぁ。
私個人が努力したわけではないのだが、まわりが終わって浮ついているので、こちらも遊ぼうかな、という気分にはなる。テレビ局のエントリーはだいたい〆切が過ぎてしまっているし、ほかはまだまだこれからだから就職に気合いを入れる気にもならない。よって遊ぶことしか視野に入ってこない。どうやって遊ぶかを考えるとちょっとわくわくする。就職活動が始まるまでの束の間のうわつきではあるのかもしれない。あ。そういえば論文を書かねばいけないことを思い出した。夜の夜中3時頃、塾新の友達が突発的に車で来た。ラーメンを食べに行ってきた。
回転寿司占いなるものをやった。超激情型の愛情をもとめ、かつ寂しがり屋で、しかもお気に入りの隠れたお店とかをみつけて喜ぶ性格だそうだ。んー。なんなんだろうか?
わが後輩のいくえちゃんの日記を読んでいると結構うちのめされるものがある。どうしてここまでいろいろなことを「感じる」力があるのだろうか?私だったら当然のように見逃してしまいそうな他人の善意を受け止めて、しっかりと噛みしめる力があるのがひたすらにうらやましい。やっぱりこの世のいることだけで、「見者」の立場というのはあり得ないものなのだろうか?