発光の鉱石をたずねて

DoCoMo北海道に伺いのメールを入れる。なんか駆け引きくさくなってきた。なんともはや……。

今日、クラナッハは休みなので千石図書館で本の出し入れをするついでに、珈琲館へ。学校は湯川ゼミ。3年生の研究計画の発表だったが、なかなか立派。外国の地域研究で英語などの外国語ができないのは致命的だが、逆にできるとここまでの充実が見られるのかと思った。「東京大学は変わる」にもあったが、学問の教科書的基礎と外国語は、研究のための体力である。体力がなくては、いかにしても継続的かつ良質な研究は難しいのだ。いまさらではあるが、前期課程を適当に過ごしたのが、あまりにも、惜しい。

最近あちらこちらの後輩を見ているとよく勉強している、という気がする。一種の原石である。私は10年前から一瞬たりとも勉強はしていない。いままで読んできた書物の知識をひたすら食いつぶすことによって、プライオリティを確保してきた。ところが彼らは勉強によって、それを勝ち取ってゆこうとする。見ていての成長があきらかになる局面がある。勉強によって、獲得すること。その能力こそが私にもっとも必要である。私は学問への姿勢はかなり厳しいと思うが、勉強への姿勢はかなりやわらかい。これは、二律背反であり、恥ずべき事だ。

ゼミのあと部室に行く。そこでメール。今日は実はコンサートだった。私はてっきり明日だと思っていたのだが。全く番狂わせなことで、一週間の予定が狂う。あげくにコンサート後いろいろなものがうちにくる。私は寝るスペースがなかったので結局徹夜。くそー。私の生活を返しなさい。広告を作る。


コメント

“発光の鉱石をたずねて” への1件のコメント

  1. […] ゼミの後輩が研究対象としているボスニアにゆくという。このまえ日経の「春秋」に宮本常一の旅のスタイルの話が出ていたが、やはり地域研究にとってその場に立つ、ということは重要である。原石が輝きを増して来たようだ。私もがんばらなければ。ともあれ南のマケドニアはいまだに戦火がやんだとはいえないし、隣国セルビアも政権が不安定になりつつある。気をつけて行って来てほしい。 […]

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