バイアの淵源
イスラーム史上、支配者は「バイア」によって権力を付与され、王権の行使権限を得てきた。現在でも君主制をとるイスラーム諸国(サウディアラビア、湾岸諸国、マレーシア諸首長国、ブルネイ、ヨルダン、モロッコ)でも君主の即位時に「バイア」を行っている。
では、バイアとは何か。イスラーム法上、バイアはムハンマドが当時の共同体から首長権を得た時、アブー・バクルら教友らによって冊立されたことに由来し、正当な統治権獲得に必要な儀式である。統治権は、イスラーム共同体(ウンマ)から支配者が委任されて行使するものなのであり、「バイア」はその委任を表明する儀式である。歴代正統カリフはバイアを行っているし、史上の各王朝でも支配圏域内のウラマーや民衆の代表によってバイアを行ってきた。これはイスラーム法上の「イジュマー」(合意)の一つと考えられる。イスラーム共同体内において法的効力を要する支配権の行使にはイジュマーが必要である。すなわちカリフが権限をもつのはイスラーム共同体の合意=イジュマーによって正当化された「信徒の長」(アミール・アル・ムゥミニーン)であるからこそなのである。
このことは血統原理にもとづく王朝(ダウラ)観念としばしば対立するであろうことは、想像に難くない。ウマイヤ朝の最初期、ムアーウィヤから息子ヤズィードにカリフ位が移ったことはスンナ派とシーア派にわかれるそもそもの淵源である。しかしながら王朝は血統原理に基づきつつもバイアを捨てることはしなかった。手続き上君主はイスラーム共同体から統治権を委任されているにすぎないからである。たとえ現実的には血統原理に基づく権限の継承であったとしても、手続き的にはバイアを行うことによって、継承のたびにイスラーム共同体から支配権行使の委任をうけ、イスラーム法上の正統の支配者と見なしてきたのである(現代日本の二世議員も形からいえば同じ)。
イスラーム政治思想上の主権
イスラーム法上、主権(と考えられるような権能)は神に存する。これは絶対に見誤ってはいけない点である。では、統治権はなにに由来するのか。イスラームはこの点に関し、我々から見れば面倒ともいえるような言語操作を行っている。
まず、主権は神に存する。神の意思は人間には不可知である。人間に与えられた神の意思に関わる手がかりは啓典である。啓典はすなわちシャリーア(法)である。ゆえに神の意思は法に体現される。
法は解釈され、執行されねばならない。人間にあるのはその権限、すなわち解釈権と執行権である。ここで気をつけねばならないのは、この文脈において「人間」とは統治者個人をはじめとする個人ではなく、イスラーム共同体という集団であるということである。主権行使権はイスラーム法においてイスラーム共同体に存する。
さらにその後に、「バイア」によって初めて統治権がイスラーム共同体から特定個人に渡ることになるのである。統治の正当性がイスラーム法とイスラーム共同体によって二重に担保されていると同時に、統治権は二重の制限をうけているのである。
一般的な主権論
以下、杉田敦『権力』(思考のフロンティア)岩波書店,2000にしたがってまとめてみる。
ジャン・ボダンによって定式化された主権論(本人がそれを意図していたかどうかは別として)は、中世キリスト教モデルを発展させることで成立している部分がある。これについてシュミットは『政治神学』で、主権の絶対性と神を関係付ける議論がきわめて広く行われたということ、神と主権者の類似性について論じられていたということを強調している。実際に歴史学的にもマルセル・パコーの『テオクラシー』(神権政治)が描く至高の教皇権は、抗弁不能の絶対性無謬の権力であり、これと主権の関連性は疑ってみてもいいように思う。
そして教会から世俗へと場を移した権力のモデルは、王権神授説として結実することになった。王権神授説によって最終決定権力を握る王の支配の正当性は、神に結縁され、最終審級の権力となったのである。これが主権である。そして時代を下り、神学的な説明がもはや充分な価値をもてなくなると、主権は今度はホッブズが展開するような契約論に結縁されることになる。有名な「万人の万人に対する闘争」という自然状態からの脱却として、個々の主体は主体的権利を委譲し、権力の中心を生み出した。それが主権であるという議論である。ここで主権は具体的人格性を捨て去りartificial humanあるいはdeus ex machinaとなった。
さらに近代に至って主権は民衆に渡る。一応の領域内に限定されるとはいえ民衆は匿名の多数である。したがって主権の体現者はいなくなった。しかしあくまで絶対的な権限としての主権、無謬なる主権は、その保持者を転変させながらも神も王もいない世界で、生き残ったのである。以上が主権論の概要である(超端折りまくり)。
ここから派生する議論はいろいろある。たとえば絶対王政の主権論は歴史的には一円支配を目指す王や領邦君主の道具であったし、それに反対する中間的な貴族や都市の主張する多元的な権力論は、やや様相を変えながらも現代の自由主義の権力論にうけつがれている。
次回予告
比較の視点の導入は、主権論の見取り図を紡錘形として示した。頂点にある神から、王へ、王から民衆へと下降してゆく権力。その一方に神から共同体に降り、そして権力の委任というべつの方向のベクトルをもつ社会もあった。
ことなる文脈と論理、その中で、奇妙なまでに同じような論理で抵抗権は封じられてゆく。ホッブスとマーワルディーそしてフーコーを論じる次回「バイアと主権と公益と」phase2をお楽しみに。