いろいろ

Mozilla 1.2 final was released

すでにあちこちで報じられているとおり、Mozilla 1.2 finalがようやくリリースされた。もののついでにプロファイルを全て作り直した。

イスラーム史研究入門基礎 – 湯川ゼミ学生のための基礎技術

内輪でこそこそと作っていたものだが、北海道大学の森本一夫先生にご紹介頂いた。幸甚である。特にAppendix.4 日本語で読める原典たちは、苦労しているのでその筋から情報が寄せられると本当にありがたい。

慶應義塾、全キャンパス禁煙か?

某筋からの情報によると、慶應義塾では再来年度をめどに、全キャンパスを禁煙とする模様。これまでえらく寛容であったが、一転しての厳しい措置。せめて各建物内禁煙とし、入口に喫煙所を設けるくらいはしてほしい。

穹窿に透ける青、地を敷く黄金

東京の冬は、限りなく明るい。空を仰げば、どこまでも吸い込まれる青。

11月も末になると、季節は冬。空気の張りつめる朝を避けて、昼過ぎに三田へ向かう。三田のキャンパスは丘の上にある。坂を上り、息をついた。ふと空を仰ぐ。なんと澄みきった青の色合い。視線が空に、遍在する光にとけ込んでいった。この感覚こそが、冬の訪れを告げる。

風が吹いた。肌を刺す冷たさに怯えて、身を縮める。と。青一色の視界にキラキラと黄金色に輝くイチョウの葉が舞っている。ようやく坂を上り終えて、丘の上に出たところだった。目を戻すと、いちめんに広がる金色の地面。東京の冬は、透き通る青と黄金に始まるのだ。

ずいぶん早い、と言われた。そう。そういえば、例年は大銀杏が色づきはじめるのはラグビー早慶戦のころ、地面が黄色に染まるのは師走に入ってから だったはずだ。今月初めにずいぶんと寒い日が続いたせいだろうか。大銀杏の葉はもうほとんど散ってしまっている。すこし残念な気もする。だが、この美しい 庭に心躍らずにはいられない。いま、三田キャンパスは一年でもっとも魅力的な季節を迎えている。

満たされた秋の終わり、冬のはじまり。願わくばとこしえに斯くのごとく、三田の季節の移ろいをが繰り返されますように。そして、それをいつまでも。

三の酉の愁雨

珈琲の香りにひたっていた夕刻。喫茶店の窓から外をのぞくと、すでに日は沈み、街路灯の明かりがぼやっと光っていた。ふと雨音が聞こえた。今日は、雲に閉ざされ、寒い日だったが、冷たい雨まで降るとは。気鬱にならないほうがおかしいというもの。

しかし、今日は11月最後の酉の日、すなわち三の酉である。今日を逃せば、一年間お世話になった熊手を戻す機会は1年を待たねばならない。覚悟を決めて、傘もないまま大鳥神社へ向かった。

明るかった。底抜けの明るさがあった。ライトに照らされて、頭上高く掲げられたたくさんの華やかな熊手。あちらこちらで飛び交う三三七拍子。愁雨などはね除ける、人びとのエネルギーを見た。

御神酒を頂戴し、小ぶりの熊手を求める。暖かさがしみた。

日記みなおし

今月に入って、過去の日記の字句を少しずつ修正している。

先月、日記をまとまって読み返す機会があって、はじめから読み直してみた。ところが、意味不明な箇所があまりに多い。自分の文であるにも拘わらず「ひどいなぁ」と思い、同時に恥ずかしく思ったのである。特に1997年から1999年の間にひどいものが多かった。自分で考えて書いたのだから、何を書こうとしているのかはわかる。しかし日記の文章だけから、私がどのように考えを展開し、どのように結論に至ったのかを読みとるのは、実に困難であった。

そんなわけで、日記の字句修正に踏み切ったのである。そのために私の文章が読みにくかった原因を考えてみた。おそらく原因は次の四つであろう。

  1. 指示語の濫用
  2. 繰り返しの極端な不足
  3. 状況依存の文脈
  4. 語彙の不足

一つ目の指示語の濫用については、説明の必要もない。「あれ」だの「それ」だのを乱発していれば、どれが「それ」なのか、さっぱり分からなくなるのはあたりまえである。

二つ目が繰り返しの極端な不足。たとえば「Aは~のような変化を経て、Bになった。Bは……のような性格を持っている、したがってAからBへの変化はXと言える」という文章の場合、「Aは~のような変化を経て、Bになった。……のような性格を持っているから、変化はXといえる」のような文章にしてしまっていることが多かった。「……のような性格を持っている」のは何か、「変化」とは何の変化なのか、を説明していない。これではわかりにくい。

三つ目の状況依存の文脈は、端的に言ってしまえば、文章の背景に関しての説明が不足している、ということである。書いたときにみんなが知っていた話でも、あとから見たときに忘れ去っているということは、非常に多いのである。

四つ目が一番深刻だ。あることを表す適切な語彙を使えないがために、余計な数語を費やし、文章全体をややこしくしている。読んで知っている言葉は数多い。しかしながら、書くときに使うことのできる言葉があまりに少ない。だから、何かを適切に表現できず、文章全体をつまらない、平板なものにしてしまっている。この問題は、一朝一夕になんとかできるものではない。気に入った文章を書く人、たとえば前に述べた前嶋信次や小川環樹などであるが、彼らの文章を写してみることで、解決していきたいと思っている。

いろいろ

高円宮殿下薨逝

謹んでお悔やみを申し上げる。

新デパートに流星群 大丸札幌店、ライトアップの試験点灯

北海道新聞より。なかなかかわいいじゃん。札幌駅の工事も終わったらしい。いきたいな。

寒い

最高気温9度。これは寒い。今日は小雪だそうだが、北陸などでは雪の降るときはむしろ暖かい日だと思うという。六義園の紅葉はほとんど進みきった。。これから数日が一番よさそうだが、これから数日はライトアップもするので、人が多いとも思う。

踊る大捜査線

第2弾の映画が2003年7月公開とのこと。たのしみ♪。詳しくは踊る大捜査線オフィシャルサイトから。

歴史系やおい好きに100の質問

時間があったので、やってみた。あんまりおもしろくない解答だと思う。

Mozillaその後

先週、1.2 final branchされて以来、Trunkはcheck inの嵐で、もう何がどう修正されたやらわけが分からないが、意欲的な前進が続いている。

多言語関連では、いままでMozillaではtitle要素にアラビア文字などが使われている場合表示されなかったが、これがきちんと表示されるようになった。bugは検索中。

イラン続報

本日付のNew York Times電子版によると、アーガージャリーの死刑判決について、最高指導者ハーメネイーは司法府に対し、判決の再審議を命じた模様。事態の収集が目的であるのは明らかで、とりあえずは改革派の勝ち星である。もっとも再審理の結果は見守らねばなるまい。

やおい的歴史ねた

以下は、「やおい」だの「june」だの「女性向き」だのという言葉を聞いて「あぁ、あれね」と頷けない人には完全に意味不明ですのでご注意ください。といって、読んだところで実害はないと思いますが。

三国志裏サイト

ここ数日、裏系の三国志サイトを回ってみた(たとえば歴史系裏電網探索などから回ると効率がよい)。驚いたのは、カップリングだの容姿のイメージだのが正史準拠になっているということ。たとえば曹操×荀彧(ジュンイク)だの曹丕×司馬懿などというップリングは荀彧や曹丕の正史における表現を知らないでは、えらくマイナーなカップリングだと思うはずだ。陳羣(チングン)の郭嘉弾劾などは逆に思慕の表れとカップリングネタにされている。とにかく隔世の感を受けた。

世代が違うのだ、と思う。我々は、ちょうど中学生くらいまで吉川英治をはじめとした概ね演技準拠の三国志小説にしか接することが出来なかった。この事態が変わったのは、間違いなくちくま学芸文庫に正史全訳が収められたためであろう。このころから、数多くの演技非準拠の小説群が現れた。そして今、三国志小説の同人界を賑わしているのは、これらの小説群を読んだ人びとであろう。三国志ほど世代間のイメージの断絶が明らかな歴史物語は少ないのではないだろうか。

中には、かなり史料を読み込んでいる節のあるものもある(もしかして院生か?と勘ぐる)。これだけ気合いがあれば、『明実録』など明清期の溢れるような史料に接しても臆するところはないにちがいない。願わくば、そのような小説のあらわれんことを。

二次創作と歴史学

さて、上でなぜ『明実録』などを引っ張り出したか、ということである。それは、歴史学の方法と二次創作にある種の共通性があることを指摘したいためである。

Web上や同人誌におけるこの手の小説の特徴は、なによりもまず、すでに存在するストーリーにおける登場人物やシチュエーションに対して、ある種の思い入れ(というか妄想)を抱き、その思い入れに従って、なんらかの再解釈をほどこし、二次的に創作を行うという点にある。もちろん「やおい小説」であるからといって、すぐれたオリジナルのものがないわけではない、というよりも、すぐれたものはオリジナルであることが多い。しかしながら、「やおい小説」の世界においては、二次創作の広がりは、とても無視できるものではない。むしろWeb上のリソースや同人誌など商業ベースに乗らないリソースの数を数えれば、圧倒的に二次創作の数のほうが多い。これを単に「創作能力の不足」ということは、たやすい。しかし、二次創作であるからこそ、発揮せねばならない能力がある。それが「再解釈」である。

やおい的二次創作においては、抱いた妄想を説得的に構成するために、既存のストーリー中に散りばめられたエピソードをかき集め、ある程度の再解釈をせねばならない。その再解釈のために、作者たちはおどろくほど丹念に元となるストーリーのテキストを読み込んでいる。特にやおい的二次創作は、もともとやおい的要素のないストーリー中で、やおい的カップリングを構成しなければいけないという、獣道開拓ともいうべき性格をもっている。とすると、二次創作の中でも、やおい的二次創作は、ストーリーを変更するというより、いかに無理なく既存のストーリーにやおい的要素を持ち込むかという問題になる。その結果、構成上の創作の余地は極小化され、むしろ最大限の解釈を行うことに集中しなければならないのだ。かくも妄想とは偉大なものか、と思うわけだが、実はこれは妄想に基づいてテクストを再解釈するか、仮説に基づいてテクストを再解釈するかの違いで、歴史学の方法とやっていることは同じなのである。もちろんこれは帰納的な方法であって、演繹的にはエピソードを読み込めば読み込むほど、妄想がふくれあがるという可能性もある。とにかく、二次創作における一次著作物は、それが漫画であろうとアニメであろうとゲームであろうと、二次創作作家にとって、歴史家の史料と性格を異にするものではない。

そして妄想にある一定の確実性が見込めた時には、人物のイメージができあがる。このとき、さらに再解釈を重ねると、テクスト内での各記述の不整合なども目につき始めるらしい。これについて何らかの批判を加えれば、それはすでに史料批判である。

史料の形式

さて。繰り返しになるが、やおい的二次創作の本質は、あるキャラクターとあるキャラクターをくっつける、そしてくっつけるためにテクストから状況証拠を探す、という二点にある。当然、なんらかの抽象的テーマのケーススタディよりも人物の具体的動きの描写が中心となる。ということは、紀伝体という叙述形式が実にやおい的妄想をふくらませるのに適しているのではないか、との疑問に行き着く。

人間中心に書いているのだから、当然といえば当然である。紀伝体の史書から、理念型的図式を引っ張り出すのは大変困難であるが、カップリングの妄想を働かせるのは容易なのではないか。そしてその妄想が体系的に世界を形成し出すとき、それは一つの解釈となる。三国志裏サイトでは、多くのサイトで、小説とは別に人物評やカップリング論を展開している。場合によっては史料を逐一挙げて論を展開しているところもある。これはもう一つの歴史叙述だ。

その意味から言えば、一般的な概説書は世界のイメージを描くことに主眼があり、人物のイメージを描くという要素は少ない。逆に史料、特に紀伝体のものや、人物伝集(たとえばアラビア語史書のタバカートと呼ばれる分野など)は、世界像を構築するために読むわけだが、とにかく微細な記述が多く、はっきり言っていらいらしてくることもしばしばだ。妄想はこのようなものを本格的に興味深く読む情熱を与えてくれるに違いない。うらやましい限りである。そういう意味では三国志に限ることなく、史料はまさにカップリング的妄想の宝庫なのである。史料を読み込むということ自体は同じ行為である。妄想は、それが妄想であると自覚できる限り、歴史学におおいに資するに違いない。

史料はいまだ無限大

三国志関連の資料は、文献資料に関する限り、新たな発掘でもなければ研究され尽くしているだろう。しかしながら世の中には、まだまだ研究の先鞭がつけられたばかりというような分野も山ほど存在する。北京の档案館には整理だけでも100年はかかると言われる史料群が眠っているし、先に挙げたマムルーク朝期のタバカートの類(たとえばもっとも有名なイブン・ハジャル・アル=アスカラーニーの『隠れた真珠』は1372年から1449年までの1万数千人の伝記が収められているが、本格的な研究は出ていない:長谷部史彦助教授教示)もそうだ。どんどん人物を検証して、くっつけていく余地はある。原典にあたれば、無限の創作の可能性が溢れているのである。

問題点

もっとも問題点もある。妄想を妄想として自分で満足できれば、それは問題がない。しかし、妄想を人に読ませたいとなると、世界観を共有していないマイナーな人物をひたすら出されても、読者はさっぱりわからない。そこをどう開拓するか、それが獣道に課された問題なのである。

ついでに

ところで、回ったサイトの中で一番気に入ったのはDarkSideoftheStar(http://members.jcom.home.ne.jp/darksideofthestar/)にある「逆しまの庭」という小説。これは全然やおいモード入っていないのですが、禅譲による王朝滅亡の雰囲気がよく書けている気がします。「滅亡」のイメージがコンスタンティノープル陥落である私にとっては、ここに書かれている静けさと空気こそが、「時代の終わり」とかそういったものを伴わない、本当の単なる「王朝の滅亡」のように思えました。

ことばの地域

この前、湯川ゼミの飲み会でしゃべっていたことだが、言葉にも地方地方で特徴がある。そして、日本の場合、それは普通、方言という。一般に東京の人間以外は、東京方言と、出身の地元の方言を操ることが出来る。したがって日本語を語るといっても、方言モードと東京方言モードの二つを使い分けていることになる。

つまり、ある地方の人が、東京の人間にあわせて話すときには東京方言モードに入るということだ。ところが、このモードが相互に影響を受けるであろうことは、疑いに難くない。東京方言モードで話していると思っていても、不思議に方言の言葉遣いが現れてしまうことがあるのだろう。特にイントネーションはすぐに東京方言のイントネーションになるが、語彙や言い回しとなるとそうもいかないらしい。

よく引き合いに出される、というより私が知っている例では、北海道の札幌周辺の言葉である。このあたりの言葉は、北に行けば行くほど口をすぼめるという本州の傾向とは異なり、イントネーションは東京方言とほとんど変わらない。したがって上述したようなことが非常に明白に出てくる。たとえば、「捨てる」のことを「投げる」「放る」という。これはイントネーションは東京とは変わらない。そして、やたらと過去の言い回しを使うということだ。たとえば、ファミレスで注文を確認するときに「……以上でよろしかったですか?」や、宅急便がインターホンを鳴らして「宅急便でした」などがある。「あぁ、そうですか」と言ってしまいそうなところであるが、これは一種の丁寧な表現だと言うことである。つまり過去時制を使うと丁寧さが増すという一般的な傾向に従っている。英語のCan you …とColud youの比較やフランス語の複合過去と単過去の使い方を比較すればよい。

というようなことを考えて、言語地理学に興味が湧いてきた。もっとも日本語くらいしかきちんと勉強しようとは思わないけれど。

イラン続報

約一千人の民衆がテヘランで司法府支持のデモを行った模様。あからさまに官製であろうと思われる。理由はシュプレヒコールが「背教者に死を!」「イランのサルマン・ラシュディに死を!」であったからである。これは司法府がホメイニーの権威に頼らざるをえないという事情を示しているのではないか。

中共新指導部

中共一六全大会について何回か論じてきたが、昨日閉会、ただちに第16期中共一中全会が開かれ、新指導部が決定した。

中共中央政治局常委は序列順に、胡錦濤、呉邦国、温家宝、賈慶林、曾慶紅、黄菊、呉官正、李長春、羅幹である。完全におおかたの見方のとおりというところで、李瑞環の引退も結局、そのままだったようだ。江沢民の中央軍事委主席留任も観測通り。呉邦国の全人代常務委長、温家宝の国務院総理、胡錦濤の国家主席などの就任は来春の全人代で行われる。

注目すべきは、党中央軍事委の大幅な若返りである。これまで軍令の張万年、軍政の遅浩田の両上将が副主席として江沢民体制を支えてきたが、曹剛川、郭伯雄がこれに変わる。特に郭伯雄は先任の上将十人近くをごぼう抜き。江沢民体制と同様に安定感をもって二期をつとめるという胡錦濤体制における軍の両輪を担わせるという目的が明らかだ。

慶應義塾のいま

ほとんど旧聞に近いものだが、慶應義塾長が安西氏にかわって、約一年半がたつ。あの塾長選は前鳥居体制に対する学部の総叛乱にも近かった。前体制はSFC=日吉を軸とした体制であったと目されたゆえに、学部の叛乱を招いた。すなわち三田の軽視といわれたのである。したがって、その後の人事刷新はすさまじいものがあった。慶應義塾の子会社慶應学術事業会の湯川社長(前常任理事)、妹尾副社長への任期途中での辞任強要、両氏のすすめた丸の内シティキャンパスでの夕学五十講後期開講講座の全中止(三菱地所の圧力かどうかは知らないが今年はきちんとやっている)、塾監局の人事刷新などである。

体制二年目に入って、週刊朝日が昨年報道したような、ほとんど「パージ」に近い前体制の有力者の粛清はほぼ落ち着いたように見える。たしかに前体制ではかなりの箱物が作られ、支出は増大した。それでも財務が決定的には破綻しなかったのは、むしろ小松前常任理事の手腕と言ってよいように思う。箱ものには二種類があった。新規のキャンパス設置とキャンパス内建築の建て替えである。前者については議論がわかれるが、後者については、批判はあたらない。慶應義塾の各キャンパスには慶應義塾百周年の1958年に建てられた建築が多い。当時の鉄筋コンクリート建築の寿命はおよそ50年といわれており、どのみち150周年前後の2008年には全キャンパスで大幅な立替が必要なのであるし、もともと三田を最大限に生かすためにはどこかに建物を建てる必要があったのである。法科大学院設置による新棟建設が結局は決定されたのだから、実は方針は継続中なのだ。むしろ、ある程度のブランドを持っている義塾にとっては、箱モノ以上に下手なソフトをつくる方が危うい。たとえば法科大学院と同時に戦略構想大学院が設置されるらしいが、いったいこれは何なのか。某法学部政治学科教授も首をひねり、「法律学科とバランスをとったのではないか」と漏らしていた。

今年9月の金子郁容幼稚舎長の任期満了をもって、名実共に鳥居体制は義塾から消滅した。安西政権は、フォーマットは終えた。これから何をするのか。法科大学院、戦略構想研究科、経営管理研究科の日吉から三田への移設がる。そして作ってしまった箱モノをどのように運営するのか。その答えはいまだ出ていない。明確な構想なくしては、評議員の不信が高まらざるを得ないのだ。そろそろ色が出てきて良いはずなのであるが……。

念のため。私は湯川ゼミに所属していますが、上記のような話を湯川さんがされたことは一度もありません。すべて私の憶測ですから、注意してください。