ここ数日、日本の日刊紙では主に朝日が報道しているが、タルビヤート学院大学の歴史学教授アーガージャリー(今年8月に逮捕)に反イスラームの教説があったとして、ハメダーンの裁判所がは8日、死刑判決を下した。これに反対する学生デモがテヘラン大学やアミーレ・キャビール工科大学などテヘランの大学を中心としてケルマーン、タブリーズ、エスファハーン、オルミーイェ、ハマダーンなど全土に広がり、昨日はテヘラン大学では全日に渡って全学休校となったという。
この事態は、3年前の改革派有力者であったテヘラン市長逮捕の時と様相が酷似している。しかし次の二つの点が事態の展開を違ったものにすると思われる。第一にアーガージャリーに下された判決が死刑であること、第二に現況の国会(マジュレセ・メッリー=国民協議会)においては、昨年の選挙の結果改革派が多数を占めていることである。
まず第一の点から見てみよう。ホメイニー没後、保守派による改革派行政に対する揺さぶりは、ヌーリー内相など中央・地方の行政職にあるものの失脚を狙ったものであった。また、改革派一般に対するゆさぶりは、主にジャーナリズムを押さえるという形で現れていた。今回の場合は後者であるが、今回のものは失脚ではなく死刑判決であり、判決理由が「反イスラーム的」ということになっている。人一人の命をめぐった攻防であるから、事態は深刻で、「民主化」とかそういう枠で語られる事態ではないことがわかる。つまり命をかけた「イスラーム的」であるということ、そのものの定義が問われる事態であるのだ。20世紀初めから延々とくすぶり続ける「イスラーム的であること」の定義をめぐる問題が、また持ち上がったのである。場合によっては、マルジャァイェ・タクリード(大アーヤトッラー=12イマーム派シーア派の最高位法学者)間での議論になる可能性もある。というより、もっとも強くこの判決を要請したのは、大アーヤトッラーであるモンタゼリーであったという。モンタゼリーはホメイニーの後継として大アーヤトッラーにまで挙げられながら、その自由主義的傾向によって現在まで自宅軟禁に置かれている法学者である。ここ数年、きわめて保守的なファトワー(教令)を発していることが知られている。従ってモンタゼリーの現在の傾向はよくわからないのだが、すでに問題に大アーヤトッラーが関わっているということは、重要である。
続いて第二の点を検討しよう。
11日付の英字紙Tehran Times(電子版)が伝えるところによると、議会は改革派多数の賛成による決議で、この判決を「不寛容」で「多大な疑問があ」り、「イスラーム革命の道を逆戻りするもの」であるとし、これを最高指導者であるアーヤトッラー・ハーメネイー、および司法府に意見書を送致したという。また大統領府報道官も同様のコメントを発している。
この局面で、議会が死刑反対に回っていることは非常に重要である。改革派というとハータミーのイメージが非常に強いが、イランの政府構成上、大統領は単なる行政府の長にすぎず、行政は司法に介入できない(司法府は最高指導者直轄)。また最高指導者にしても「この事態を三権が解決できないならば人びとの力を借りるしかない」という、改革派への脅しとも、司法府に譲歩を勧めるともとれるコメントを発しているだけである。英BBC World Serviceでは、この「人びと」を革命防衛隊(パス・ダーラーン)=民兵と解釈して、改革派への脅しとしているが、もうすこし微妙な解釈が必要であるようにも思える。イランでは立憲制と議会を尊重する伝統が形成されており、最高指導者にしてもホメイニーほどのカリスマ性はとても期待できないので、公然と議会を無視することは不可能である。
12日付の国営イスラーム共和国通信(IRNA)が発行する改革派新聞Hamshahriによると、最高指導者ハーメネイーは12日、三権の指導部を招集し、この問題についての協議を行った模様である。隣国イラクが国連決議を受託するかしないかという局面にある国際政治的状況からいって、最高指導者にしても行政にしても、国内のゴタゴタはなんとしても避けたいところである。前述のハーメネイーのコメントも、最高指導者としては当面、静観の構えをとることを示している。そもそも裁判についても、まだハマダーンでの地方級一審であり、被告も控訴の道が残されている。したがって、デモを武力によって制圧するようなことは、事態を一層ややこしくするだけなので、ありえないだろう。おそらく学生デモの鎮静化にむけて何らかのコメントが発された後、数ヶ月にわたって妥協の道が探られる、というのがもっともありそうな展開である。一気に民主化に進むような事態や、逆に弾圧による綱紀粛正は考えにくい。