物欲

物欲モードである。バイト代収入と臨時収入があった。何を買おうか迷う。電化製品が多いのは、量販店のポイントがかなり貯まっているため。

PC関連

外付CD-R/RW,DVDコンボドライブ

DVDが見たいというのもあるが、いまのCD-ROMが読込四倍速と意外に年代物で、どうにも遅いため。

それからPCM-CIA接続なので無線LANを使っているときにCD-ROMを接続できないと言うのも弱み。当然のごとくCD-ROMを使っているとCD-DBに接続できない。であるから接続は出来るだけ、IEEE1394が望ましい。

あと現況においてフロッピーディスクを持っていないので、リムーバブルメディアとしてCD-Rを使いたいということもある。緊急度は意外と高いかもしれない。

プリンタ

どうも私はプリンタを延々使うきらいがあって、以前はキヤノンのBJC-600というのをおよそ六年にわたって使い続けた。今のものも買ったときの値段を考えると二年半たった今は、買換期かもしれない。

最近はカラーの印刷をすることも増えたし、とにかく海外の新聞の記事などをプリントアウトしたがるので、それなりのスピードと画質が要求される。というより要求したい。

そういうわけで、そろそろ新しいものがほしいのである。問題はあまりデカイものは好ましくないということ、プリントサーバを使うのでパラレルポートが必須だということである。最近のものはUSB一本槍なのがいただけない。おまけにドライバはUSB接続を前提としているので、双方向通信ができないとすぐ文句を言うのだ。キヤノンのBJ-S500あたりを視野に。緊急度低し。

スキャナ

私の頭の中でスキャナというのはプロだけが使う高嶺の花という十年前のイメージが、いまだに修正し切れていない。お店に行って、\9,800という値札を見ても、ゼロが一つ多く見える。その修正も含めて、そろそろ持っておいてもよいのではないかと思う。

用途はもちろんOCRである。手許にあふれかえっている論文のコピーをデジタル化し、さらにNamazuでインデックスを作って全文検索できるようにすれば、コピーの山をいちいちひっくり返しては、時間をかけて探すより効率が上がること著しい。それから英文の論文も意味を調べるなら、わからない単語を打ち込むより、デジタル化しておいて、当該部分を選択してBabylonで参照したり、必要ならIslamic Dictionaryなどを引いたりするほうが楽に決まっているのだ。

さして値段も高くないので一番買っておくべきか。ビックカメラでキヤノンのBJ-S500とN676Uがセットで二万ちょいだった。本当はページめくり機能付きのスキャナを熱望するが……。お目にかかったことがない。

PCのバッテリー

私はPCを外で使うことが非常に多い。それだけにバッテリーの予備が必要であろうことは考えるまでもない。しかしながら当然のごとくバッテリーというのは、それぞれのPC専用でほとんど汎用性がない。

しかも長時間持つもので三万円近く、標準でも一万円ちょっとする。世代が変わるごとに低電圧技術や、液晶バックライトの技術は進むので、同程度の機能でも下取りとの差額が三万円以内なら、PCそのものの買換のほうが合理的であるということになる。おそらくはバッテリー以外にもずいぶんと変わっているはずなので十万円未満でも合理的である可能性もある。なかなか悩ましい点である。

ハンドヘルドPC

バッテリーの代替案。私の求める条件は次の通り。

  1. キーボードがあること。
  2. ATOK8以降くらいが動くこと。
  3. 何らかのテキストエディタが載っていること
  4. 何らかの形でPCとデータ交換ができること
  5. 十数時間は稼働すること
  6. せいぜい三万円程度

カラーである必要もないし、Windows互換である必要もない。DOSで十分。ただ願わくば十数時間は稼働して欲しいのだ。しかしこの条件のものがなかなかない。というより皆無。十年くらいまえのPCスペックを満たせばよい。電池だけ今のレヴェルであってくれればよいのだからできるだろう。携帯のCPUとメモリーにキーボードとちょっと大きめの液晶を足せばよいのだ。

しかしどういうわけかやたらと高性能なCPUを積んでいて、カラーで、駆動時間が短くて、高い、というのがWindows CE機の特徴。なんとかならないのか? ちなみにPalmは毛嫌いしているので却下。

電化製品

携帯

いま使っているのはP210i。まだまだ全然新しいじゃないか……。というわけで却下。そこそこ電池が持って、Bluetoothの使えるFOMA機が出たら、そのときに買い換える。ってそんなもん本当に出るのだろうか……。

テレビ

実はうちのテレビ、十四年前の代物。最近はよく画面が落ちる(つまり音だけ出ていて映像が映らないことがある)。いよいよ寿命かという印象もあるが、狭い家だけに、新しいものを買うなら液晶のものが欲しい。いまのテレビのスペースが空くだけでどれだけ広くなるか……。しかし液晶ならPCと共用できるんじゃないか?と考え出すと、そもそも規格が違うので、えらい高級機でないと無理だし、だいたい私はデスクトップPCを持っていない。じゃ、これを機に……とか考えると、とんでもない値段になる。というわけで却下。本格的に死ぬまでいまの子をかわいがることにする。

ポータブルオーディオ

今使っているMD再生機はこれまたかなりの年代物。当時としては画期的に小さかったのだが、いかんせん再生可能時間が短すぎる。一回の充電で二時間が限度。学校の行き帰りにしか使えないのである。いまのMDって確かゆうに百時間は持つはず。さして高くもないのでMDを買うのが一案。あとはいっそのことシリコンオーディオに完全移行もありえるが、まだ発展途上との印象が強い。

卓上空気清浄機
  1. 私はチェーンスモーカーである。
  2. 今日机を買って、念願の椅子生活に移行した。
  3. 現況においては、居間兼寝室ではたばこのにおいをつけたくないのですわないことにして、台所で煙草を吸いながら勉強したりしている。
  4. 当然机は居間兼寝室で使うので、そこで煙草を吸うことは必定である

以上の四点を鑑みると、なんらかの方法で煙草の煙を処理しなくてはいけない。四六時中窓を開けっ放しにするわけにもいかないので、空気清浄機が必要であるとの結論に達した。問題はかなりサイズがでかいこと。そしてそれなりの機能(単に煙草を吸い込んでくれることだけでなく部屋の空気の臭いやほこりをとってもらう)を求めるとさらにでかくなり、かつ高価になるということである。しかし緊急度高し。とりあえず昨年秋バージョンの松下のものを見たが、そちらは却下。なお、煙草を吸わないというオプションを十分考慮した上での結論である。

デスクライト

机を買ったのだから、当然必要。検討の余地無し。ただし選択肢は広い。それにちょうど机をおく場所の上にハンガーレールがあるので、スポットライトも追加してもよいかもしれない。選択肢としての検討の幅はほとんど無限。

アイロン
よく考えたらなんで無いのか不明。しかし困っていないので、使うかどうかも不明。

その他

今使ってるやつは穴があいているし、そもそも壊れかけている。だが雨の日は買いに行くのが面倒だと思うし、晴れたら必要がないので傘のことを忘れてしまっているのだ。まじ、とっとと買わねば。
コーヒーサーバー
手でやるやつ。おうちでクラナッハのコーヒーを練習する。別に高くないからとっとと買えばいいのだが。問題はめんどくさくて使わないかもしれないこと。
黒柳恒男『ペルシア語辞典』大学書林, 1990
こんなところに書くものでもないかもしれない。しかし聞いて驚かないで欲しい。それほど馬鹿でかい辞典ではないのだが、三万円ちょいするのだ。古本でも二万ちょい。より廉価なものに同著者による『現代ペルシア語辞典』があるが、こちらは古典に対応していない。もうかれこれ七年前から買うかどうか迷い続けている。いつか思い切って買わないといけない。手許に役立たずなPersian-Englishがあるが、どうにも収録語彙が少ないし発音表記が不足しすぎている。うー。
オーブン
欲しい! 「焼き」たいのである。
サクッと千歳に飛ぶ
却下。そのような状況にない。
サクッと仁川に飛ぶ
もっと却下。だいたいパスポートを更新していない。

リスト終わり。で。

というのが午前の段階であったのだが、午後になって椅子を買いにNOCEに行った。とりあえず勉強用であるから、当然背もたれの角度はそれほどついておらず、座面も小さいものがよい。ダイニング用の椅子が多くても目的のものに、なかなか巡り会えなかったのだが、それなりのものに決定した。そのついでにZa-Galleryとかを見ていたら欲しい小物がいっぱい。デスクライトが決定したのはよいが、いろいろ買いたいものがさらに増えた。

しかし、ものを増やす前に配線を考えないと、いろいろなインテリアが台無しになる。特にただの「板」状の机であるから、穴を開けることを避けるなら、相当慎重に電源コンセントなどを考慮しなければいけない。机の脇に掛けるタイプや貼るタイプなどさまざまなものがあるし、コード自体も細めのものなどさまざま。さらにそれを隠す覆いなども出ている。単に延長コードをべたっと机に載せたのでは芸がなさ過ぎる。カードホルダーなどで洒落たものを買っても、コードが這っていたら興ざめ。電化製品を買ってまず考慮すべきは、そこまでのコードをどのように隠すか、なのである。

最近のMozilla覚書

特に言及することでもないかもしれないが、Mozilla 1.0.0 rc1日本語パックがリリースされた。Mozilla 日本語パック (JLP)からダウンロードできる。以下、いつも通り気になるバグを(Mozilla全般について秀の介の日記に負うところが大きいです。感謝)。

Bug 125958 – Installer creates invalid directories

例の四月十九日付けで言及した削除できないディレクトリを作るバグ(Bug 125106 – Cannot install desktop icon and program folder properly on localized Windows、およびduplicated bugとしてBug 125958 – Installer creates invalid directories)がようやくfixに近づいたようだ。妖精現実 フェアリアルなどでけちょんけちょんにけなされている(ついでにrc2はまだ正式リリースというわけではないのでは?)が、これをfixしようという努力がされなかったわけではない模様。

Bug 99823 – Layout of Arabic (shaped) text is faulty

日本で言及されるのはおそらく初めてのBugだが、アラビア語のサイトを見ようとする者には非常に重要なバグ。端的に言って時々アラビア語の文字列を選択すると選択部分がめちゃくちゃになるというものだ。はっきりいってSeverityはblockerにされていてもおかしくないといえる。CNN.comのアラビア語サイトを表示したスクリーンショットが添付されているが、確かにひどい。al-ahramなどではさらにひどくなる。ついでに未だにアラビア文字で<title></title>が書かれていると、タイトル欄は?????で表示されるバグもある(なおbookmarkに入れたり、タブでのタイトルはきちんと表示される。ウィンドウのタイトルだけが化ける)。

このバグについてはすでにパッチがすでに出ているが、きわめて煩雑な作業が必要なパッチとのことで、buildに反映されるのは1.1の模様。1.0までにやるには、アラビア語以上に対処すべきバグが多いというのがその理由。ネット上でのアラビア語の使用率まで出して説明されているが、多数言語使用者の横暴だろう。

Mozillaのリリースノートのlocalizationの項目(Mozilla 1.0 Release Candidate 1 Release Notes)について、最近ようやく小池さんによって更新されるまで、延々一年近くほったらかしであったのが思い起こされる。multi-languageのWebの世界を歩くUAなのだから、Mozilla.orgもW3C同様、英語以外の言語、ラテン文字以外の文字に敏感であってほしい。アラビア文字がかなりのレヴェルできちんと表示されるように作り込んできたり(しかしまだIEには及ばない)、CJK統合漢字の使われたサイトにおいてSGMLの仕様的にはよろしくないが改行をスペースで置き換えるのはやめたほうがいいのではないか、といった議論(Bug 135323 – A return code between the two CJK characters is converted to a space code)がされているのは歓迎できる。そのようなことを念頭に置いて、日本語話者のMozillaユーザーもこれまで以上に声を大きくしてもいいのかもしれない。自戒を込めて。

プリント関連

【第345回】 最近のMozilla Nightly(2002年04月06日)で指摘したbugはdupばっかり増えて全く進捗していない模様。

jp-Bug 2152 – ファイルをダウンロード時クラッシュ

これは新しいバグ。とにかくダウンロードが始まるとダウンロードマネージャが起動して、かつ勝手に落ちるというひどいものだ。2002050208でも発生している。

xyzzyと英辞郎

xyzzyの辞書引きによる英辞郎の使用は実に軽いし、使いやすいので重宝している。Web上でちょっと意味を知りたいときはBabylonを使うのだが、語彙数や意味の多様さは圧倒的に英辞郎に軍配が上がる。

xyzzy+英辞郎の辞書引きモードはマウスをあてるだけで意味がポップアップする点がBabylonに勝っている(右図)。BabylonではShift+右クリックがデフォルトで、カスタマイズしても最低右クリックが必要である。ところがxyzzyの辞書引きはマウスポインタを当てるだけでよい。なんのアクションも必要がないのである。

しかしそれでも若干の欠点というのはある。英辞郎はおそらく外国人が和英として使用する可能性も考えていて、ほとんどの漢字についてそのあとに{}でくくって読み仮名が書いてあるのである。英辞郎の魅力は一つの意味に対し、かなりたくさんの日本語の同義語を詰め込んでいることだ。たとえばindexを調べると次のように出てくる。

index
{名}印、インデックス、見出し{みだし}、索引{さくいん}、指針{ししん}、指数{しすう}、指標{しひょう}、徴候{ちょうこう}、添字{そえじ},{自動}索引{さくいん}を付ける,{他動-1}索引{さくいん}を付ける、索引{さくいん}に載せる / 【用例・他動-1】 Publications are indexed by title. : 出版物はタイトルごとに索引が付けられている。,{他動-2}(価格{かかく}・利率{りりつ}・賃金{ちんぎん}を)指数化方式{しすう か ほうしき}にする / 【用例・他動-2】 If we had merely indexed the rates and allowances, the average family would be paying more in income tax. : もし私たちが利率や給与を単に指数方式にしていたならば、平均的な家族は所得税をもっと払っていたであろう。

印、インデックス、見出し……と多様である。しかし、ごらんになってわかると思うのだが、それぞれ読み仮名がついて一覧としての可読性がひどく損なわれてしまっている。

そういうわけなので英辞郎をxyzzyで使う向きには、英辞郎のデータをxyzzyの辞書データとしてコンパイルする前に、正規表現をつかって{}で囲まれた部分はすべて削除してしまうとよい。次のようになる。

index
{名}印、インデックス、見出し、索引、指針、指数、指標、徴候、添字,{自動}索引を付ける,{他動-1}索引を付ける、索引に載せる / 【用例・他動-1】 Publications are indexed by title. : 出版物はタイトルごとに索引が付けられている。,{他動-2}(価格・利率・賃金を)指数化方式にする / 【用例・他動-2】 If we had merely indexed the rates and allowances, the average family would be paying more in income tax. : もし私たちが利率や給与を単に指数方式にしていたならば、平均的な家族は所得税をもっと払っていたであろう。

ずっとデータ量も減るし、なにより表示がすっきりする。一般の日本人なら、索引や指数などが読めない人はいないだろう。

関連リンク

でたんやる気のないぺぇじ
xyzzy配布元(タイトルはたびたび変わります(笑))
Toy’s xyzzy memo – Dictionary
辞書導入のイントロダクション
英辞郎
英辞郎の公式頁
修行日記 in October, 2001
英辞郎辞書は現況においてそのままxyzzyの辞書データ形式にコンパイルすることができない。英辞郎-[A-Z].txtという形式のファイルだったのだが、EIJI46AF.TXTのようにまとまったからである。で、そのA-Zになおすやり方。
Online Dictionary Software by Babylon
Babylonのサイト。本体の他、辞書データにあたるglossaryが超大量に配布されている。

トラさんを保護せよ

今日、上野動物園に行って来た。昨日がみどりの日で入園無料なのはわかっていたが、どうにもこうにも混雑しているだろうから、それ避けて今日にした。ろくに調べもしなかったが、ズーストック計画で上野動物園にはトラさんを集めることになっていると聞いていたので、なんとなくうじゃうじゃいるトラさんを見に出かけていったわけである。「トラの森」というのがちゃんと作ってあって檻ではないので見やすかった。目の前をのそのそ歩くトラさんは、体はやせっぽちだけど手足も顔も大きくていい感じ。でも2頭しかいなかったのだ。

あれ?集めているのではなかったのかな、と思って帰ってきて調べた。それが愕然とすることばかりで非常に驚いた。なにかトラというのは野生のものもうじゃうじゃいて、あちこちの動物園でも10頭単位でいるものだと勝手に思いこんでいたのだが、それが全然違っていた。というより、絶滅寸前。8亜種あるなかで、すでに3亜種が絶滅していて、残る5亜種も野生と動物園のトラさん全部併せて10,000頭にも満たないらしいのだ。

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神の子池

摩周湖を訪れたことがあるひとは多いと思うが、裏摩周展望台を訪れたことがある人はその何分の一にもならないのではないだろうか。裏摩周は摩周湖の西側に位置し、斜里と中標津を結ぶ線上にあり、釧路から川湯へと北上するメインルートからはずれるためであろう。さて、その裏摩周の方にさらにマイナーな場所がある。それが「神の子池」である。非常に透明で、しかも青みがかかっており、大変に神秘的なたたずまいの池である。近年、ごくまれにバスが入るなど少々知られるようになってきた(賽銭を放り投げる不届者がいるという)が、道道から砂利道の一車線の林道をかなり入らねばならないとあって、まだまだ名所ではない。

青く澄んだブルーが美しい池である。

さて、その「神の子池」が5月号の「ナショナル・ジオグラフィック日本版」p.17に紹介されている。右は昨年の秋、私が訪れたときの写真であるが、ナショナル・ジオグラフィックでの写真は非常に美麗なのでごらんいただきたい。

さて、この神の子池だが、有名な「ほっかいどガイド」をはじめとして、ここを紹介しているところでも摩周湖の伏流水によるものとしている。「神の子池」とはカムイトー(神の湖)と呼び、その伏流水によるから名付けられたのである。これは「ナショナル・ジオグラフィック」でも紹介されているが確かである。ところが、この神の子池は千葉大学の濱田浩美助教授による水質調査によると電解度は摩周湖の方が三倍にあたっており、同一の水であるとは考えにくいとのことである。

正確な中水文学的知識および湖沼学的知識は知っておいて損のないことであるが、この池の美しさはやはり「神の子」に値すると私は思う。

関連リンク

ほっかいどガイドは、現地を歩いた人による情報を集大成したネット上のもっとも伝統あるガイド(なんとJunet時代から)。北海道を旅する者にとって必携である。ナショナル・ジオグラフィックは、世界の地理を美しい写真と共にちょっと教養気味に紹介する雑誌。非営利のナショナル・ジオグラフィック協会が発行している。よく推理小説などで病院や弁護士事務所のきどった暇つぶし用の雑誌として紹介されている。1995年から日本経済新聞社と合弁で日本版を発行している。

National GeographicのSidebar Tabは一枚の世界中のどこかの写真と、ちょっとした記事が日替わりで掲載される。一休みにちょうどよい。

北へ――!

一年に三回くらいこの言葉を叫んでいる気がする。私はバイク旅を除いて、北海道の旅をそこそこ知っている方だと思う。宿泊ガイドといえば「とほ」と考えている。しかし住むことと旅することには雲泥の差がある。人類学者はフィールドワークにおいてそこに住んでも所詮は「余所者」の問題に悩むが、我々は旅することと住むことの差に惑う。凍る水道管、雪下ろしの苦労、雪解けに舞い上がる砂……そういったものは目にし、話を聞けば、おおむね理解することができる。しかしそうでない雰囲気のようなものは身に付きにくい。

北海道を愛し、旅するものは、おおよそそのさわやかさに焦がれる。しかし、そのことと北海道自体がいま現在持つほの暗さの落差。それはなかなかにつかみがたいものなのである。

九十八年の晩秋、私が「おおぞら十三号」の車中で聞いた六十代半ばの男性のライフ・ヒストリーは、悲しさの漂う、しかしそれでいて妙にあけっぴろげであきらめたかのような口調で語られた。彼は幾春別出身。幾春別は炭坑町であった。徐々に細っていく街の活気、そしてその後札幌に出た後の、定職についたりつかなかったりの生活と冬の描写は心を打つものであった。詳細を語ることはできないが、決して彼の語りの世界の背景が遠く過ぎ去ってしまったわけではない。観光のまなざしにはなかなか入ってこない部分もあるのだ。いまだに北海道は生活保護受給率は日本一であり、さまざまな社会面の報道にも心を痛めるものが印象として多いように思われる。北海道では「左」が強い。それは故のないことではないのである。

しかし、そのほの暗さがあるからこそ、美しい大地に夢をかけることができる。いやすことができ、迎え入れるエスプリを持ちうる。五月六月、札幌はリラの花咲く一年でもっとも美しい季節にはいる。ワールドカップでしばらくは喧しいであろう。しかし美しい季節であることにかわりはない。

宗教としてのイスラーム

イスラームの神=アッラーフは人格的唯一神であり、キリスト教やユダヤ教の神と同一である。しかしイスラームは神と人との関係について、合理的である。たとえばキリスト教のようにイエスに神性を認めるために、はなはだの難しい三位一体の教説をとったりはしない。神は神であって、子を産むようなことはない。したがって当然神の子は存在しないし、預言者ムハンマドもあくまで人であり、奇蹟など起こさない。人は人、神は神で論理的に理解しやすい。

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日本レコード協会、コピーコントロールDiscの表示基準を制定 – AV Watch

例のavexが出した違法コピーをはねるように細工をしたAudio CD「まがい」のもののロゴマークが決定した。違法コピー自体を非難することは別にかまわないが、このまがいものはCD-DAの仕様標準を規定するRed Bookの違反しており、厳密な意味ではCD-DAではない。したがって再生することができないCDプレイヤーも存在しうる。にもかかわらず、まるでCD-DAであるかのようにして売るというのはいかがなものか。

蘭Phillips社と並んでCD-DAの仕様を策定した日SONY社もこれをCDとはいえない(つまり見慣れたこのロゴが使えない)として配慮を求めている(ちなみにPhillipsは激しく反発している)。HTMLだのUnicodeに限らず、「標準仕様」がなんのために策定されるのかを考える必要がある。策定されるのはDe Factoな標準では困ることがあるためなのだから。詳細はZDNN:コピーコントロール機能付きCD――問題点は何か?(1/2)を参照。

加藤紘一氏の議員辞職、バイオ業界に余波・政界パイプ詰まる-日経B2O

加藤紘一元自民党幹事長の議員辞職が、バイオ業界に波紋を広げている。加藤氏はライフサイエンス推進議員連盟会長として、バイオ分野の国際競争力強化をめざす国家総合戦略作りに積極的に動いていたからだ。せっかく築いた業界と政界とのパイプを絶やすまいと、尾身幸次科学技術担当相を後継者に推す動きも活発化してきた。

ちょっと険のある顔をしてるけれど尾身さんは結構以前から注目していた人なのです。

世界に恥さらした「日本のバカップル」

昨日に引き続き、ZAKZAKによる。ちなみにネタ元はロイター。

ZAKZAKでは日本の恥、とばかりに書き立てていますが、別に元記事がそこまでえぐく報じてるわけじゃありません。ある意味、日本の反欧米感情はこういうことで掻きたてられるのかも。日本語の報道って、どうしても説教くさくて公式発表のようなものか、そうじゃなかったら週刊誌的になるんですよね。なにかこう、良質な皮肉を混ぜた評論のような書き方って確立されないんでしょうか。産経もここのところ西船図書館焚書事件といい、ちょっと色が出過ぎている気もします。

しかし六カ月も世界旅行とは素晴らしい。いったいどこにいったんでしょう。「空港に着いた」というのだし、のほほんとしていたというのだから、イスラエル入国の際に異常に検査が厳しくなるシリアなどは行っていないのでしょうが。中東を六カ月ふらふらすれば相当世界観が変わるかもしれませんね。

ネタもと

Mozilla 1.0 Release Candidate 1

Mozilla 1.0 Release Candidate 1がリリースされた。例のおばかでうざいバグ(Bug 125106 – Cannot install desktop icon and program folder properly on localized Windows、およびduplicated bugとしてBug 125958 – Installer creates invalid directories)は近日中に修正されそうな雰囲気だがこの版ではまだ残っている。とりあえず記念品。

有用な本

じっくりと勉強をしている暇はないが基礎から料理をやりたい人に浅田峰子『基本の台所』グラフ社,2002。サラダとパスタは一人分の分量がうれしい村上祥子『超カンタン!村上祥子のサラダ革命』講談社,2002。それからsaita mook『すっごく簡単! パスタとサラダ』芝パーク出版,2002

英語と発音

私は英語が苦手である。特に聞き取りと喋りはできるだけ避けて通りたいと思っている。語学の順序としては聞き取りと喋りは当然読み書き以前にやるべきもので、そうあってこそ初めて読み書きが流暢にできるのである。しかしながら英語を恐れ続けてから十年近いキャリアを誇る私としては、英語に関してだけはそのように考えることはできない。

聞き取りにおいては、tやsなど空気みたいな音が「音」として聞き取ることができない。声門閉鎖音や舌音はわりと強いのだが閉音節が悲劇的である。そうすると、前後の単語の区切りが全く不明確になり、どこまでが単語かがわからなくなる。これはきわめて由々しい問題なのである。フランス語はさらにひどくてリエゾンやアンシェーヌマンでべっとべっととくっつくと言われるが、むしろ規則化されていてわかりやすいし、閉音節が後の母音によって開音節化するのでいくぶん聞きやすい。ところが英語であるとどこでくっついて、どの音が発音されないのかといったことはほとんど経験上の問題であるらしいので、経験したくないと思っているとさらに深みにはまっていくのである。せめて、漢文を読めた日本人のように、英語を読める日本人になりたい。十年間さぼりつづけたのであるから、もはやしゃべる、聞くはあきらめるので、せめて読むだけはできるようになりたいのだ。

で、せめて読めるだけは、と思って勉強しているのだが、単語を発音しないと覚えないというので、まず発音記号を読めるようにしなくてはと思ってひととおり勉強してみた。そうしたら驚くべきことに、私が「そうだ」と思っていた読み方がどうもずいぶんと違うようなのである。どおりで聞き取りがやたらえぐいわけだ。なのでやっぱし野心は高くということでお勉強お勉強。

関連リンク

旧国名

某所で最近旧国名が通じなくなりつつあるということを聞いた。いまでも地名などで一般的な名前(たとえばどの国にでもある一宮など)は旧国名を重ねて区別しているし、自動車によく乗る人なら峠の名前や街道の名前に多く使われているので、一般的に旧国名は広く認識が共有されているのだと思っていたが、そうでもないらしいのだ。旧国名は便利なもので主要な国なら一字で意味を示せる(たとえば「信」といえば「信濃国」であるし「上」といえば「上野国」である。漢風に「州」をつけて「信州」「上州」とも言える)。この一字略が特に通じないという。

私はこの議論は根拠もなかったのであやしいと思うが、実際のところはどうなのだろう。上信国境や上越国境、三遠信国境、西武、あるいは関東「甲信越」などの名前が残っているのだから、みんなわかっているのだろうと思うのだが……。もし上に挙げた固有名詞を単に地名としてバラバラに覚えているのなら著しい効率の悪さである。県名を学ぶ時に同時におおまかな旧国境と旧国名も学んだほうがいいのかもしれない。

別の話になるが、陸奥国、出羽国および蝦夷島がそれぞれ東山道諸国(陸奥、陸中、陸前、岩代、磐城、羽前、羽後)および北海道諸国(天塩、北見、千島、根室、釧路、十勝、日高、石狩、胆振、後志、渡島)に分かたれたのは明治二年のことであり、「釧」「勝」などのほかは定まった一字称はない。それが徐々に「狩勝」「塩狩」「常磐」などのように旧国名が廃止された後に広まってゆく過程はどのようになっているのか。興味のある問題である。

そして現在でも微妙にゆがみをもちつつ、旧国名を用いる傾向は変わっていない。たとえば「関越」などは「関東」と「越」であって妙といえば妙ないいまわしであるが、旧国名を用いたほうがしっくりとくるのである。高速道路の名称をみると、あえて避けたかのように都道府県名は使われず、地方名(東北自動車道)や旧国名(常磐自動車道や上信越自動車道)あるいは都市名(東名高速道路や館山自動車道)である。これはやはり一世紀たったいまでもフランス流の県編成はしっくりとこないということなのだろうか。

現在進みつつある「平成の大合併」によって一つの市町村の面積は相当に大きくなり、郡相当となる。であるならば、都道府県+市町村という枠組みよりも道+郡という令制下の編成の方が結局合理的であったと言えるかもしれない。

南信高遠の春

今年の春の訪れは早かった。二月中に雪の積もることもなく、三月に入ると東京は二十数度に届く日々が続き、半ば過ぎには、桜もちらほらと咲き始めていた。平年より一週間から半月早く迎えた満開の日々、私は身の回りの瑣事に追われ、東京のあちらこちらの桜を見てまわるといういつもの年の春を過ごすことができないでいた。そして四月になり、ふと見回してみると、すでに葉桜になりかけていたのだ。このような事態は憂慮すべきである、否、許容することができない。盛春を感じる前に、初夏の訪れを迎えてはならないのだ。あまりにも早く駆け抜けていった東京の春を取り戻すべく、桜の名所として夙に名高い南信州高遠を訪れることにした。

takato_chizu

信濃は北東から南西に向かって中部日本の内陸部を占める国である。南信は、信州中央の諏訪盆地に向かって南西から走る谷、すなわち多治見から福島を経て岡谷に至る西の木曾谷と、逆に諏訪盆地から南西に向かう谷、すなわち辰野から伊那、飯田を経て、天竜に至る東の伊那谷を中心としたいく筋かの谷からなる。木曾谷は狭く峻険なのに対し、伊那谷は広くなだらかで盆地を形成している。高遠は、その広い伊那盆地の東端に位置する。従って高遠は西のみが伊那盆地に向かって開けており、残りの三方を山に囲まれていることになるが、わずかに北に向かって細い谷が刻まれている。この谷を北へ向かうと杖突峠を越えて上諏訪に至るので、伊那から高遠を経て諏訪に出る裏街道筋―杖突街道として使われた。高遠という城下町はそういう場所にある。

新宿を六時に発して、永福から首都高・中央道を快適に諏訪まで飛ばす。途中での休憩をはさんで、諏訪には九時ころに到着。諏訪盆地の眺望がすばらしい杖突峠を越えて高遠へと降りてゆく。この道筋は古い田舎のたたずまいを残しており、沿線のバス停などもきちんと屋根のついた待合所といった雰囲気のもの。桜や枝垂桜がちらりちらりと見える。ほかにも黄水仙や黄梅、辛夷、木蓮などが風景を賑わせているが、押し付けがましくはなく、よい雰囲気。まさに山里の春。

takato_1

道の両側の山がすこし離れ、谷が開けてくると、すぐに高遠の町である。鉄道からも幹線国道からも外れた古い街なので落ち着いている。戦国期には高遠氏が治めた。のち武田氏に服属し、織田信忠の甲斐征討軍と仁科盛信との激しい闘いは池波正太郎の『真田太平記』の冒頭を飾る。江戸初には保科氏が治め、保科正之が会津に転ずると、内藤氏がこれに変わった。新宿区と高遠町はいまでも交流を結んでいるという。高遠藩は、こじんまりとした中藩としてそれなりに栄え、信州では北の松代とならんで尚文の藩として名をなしたという。内藤氏の居城高遠城は盆地のほうに突き出した台地上に築かれ、町とはずいぶんと高さが違う。そのひと山がまるごと桜で覆われているのである。これが有名な高遠城址公園で、時代はずいぶん下るが明治六年に植えられたタカトオヒガンザクラが山一つを、桜としてはすこし濃いピンク色に染めているのである。

さすがに平日といってもかなりの人出で、城址公園からは離れた川原の特設駐車場に車をとめてバスで公園へと向かう。公園に入るとたしかにどちらも桜ばかり。各曲輪に高さの差があり、また空堀もあって、桜がより立体的に見えるのが、名所のゆえんかもしれない。二の丸から本丸へとわたる橋からは、桜ごしに間ノ岳か塩見岳あたりの南アルプスを望むことができ、さらに東に向かっては仙丈ケ岳をのぞむことができた。雪を残したアルプスの眺望と桜の前景というとりあわせも興がある。昼には、ふたたび杖突峠の方向にすこし戻り、こじんまりとしたお寺を見つけて昼食にする。ここではこんな場所でも桜が十数本あり、谷のあちらこちらで桜を見ることができるのである。城址公園の花の城の賑わいと圧倒的な桜の森も良いのだが、そのにぎやかさを逃れて誰もこない静かな境内で、何本かの満開の桜の下、弁当を広げることにしたのである。良く見ると、梅も植えられている。同行した友人が「藤村の『千曲川のスケッチ』の『梅も桜も李も殆んど同時に開く』ってのは本当だね」と言っていたが、まさにその様子である。

片倉館の前景

昼食を済ませると朝がはやかったせいか、ずいぶんと眠くなってきた。それに山間なので、空気が冷たくことのほか体が冷えた。温泉でも入ってゆっくりしようと、この小さな盆地に別れを告げ、ふたたび杖突峠を越えて諏訪に舞い戻る。諏訪は、上諏訪駅の「駅の温泉」をはじめずいぶん有名な温泉地であるけれど、わたしはあまり良く知らないところ。とりあえず湖岸公園あたりの温泉がありそうな方へ車を走らせると、ずいぶんと立派な洋風建築があった。「片倉館」と「市立美術館」だという。「そうか、美術館か」と思うと、どうもその「片倉館」というのは公共温泉らしい。ちょっとびっくりした。

立派な温泉の建物といえば道後温泉本館がすぐに思い浮かぶが、ここは昭和九年の建築で、当時の片倉財閥が市民の遊戯場・集会場という位置づけで施設をつくり、あわせて公共温泉をつくったとのことである。中のシステムも道後温泉と同じで、三百円では入浴のみ、六百円払うと二階に上がって、休憩もできるというものだった。休憩もすることにして、ひと風呂浴びる。洗い場はいくつかの部屋にわれていて、湯船も足掛、腰掛、底と三段になっており、腰掛にすわるとちょうど肩まで湯につかるほどで、ずいぶんと深いので、変わった構造である。汗を流して二階にあがり、地ビールの「諏訪浪漫麦酒」と田楽で、だらつく。このとき午後三時。朝早く出るとずいぶんと時間に余裕があるものである。諏訪湖岸を散歩し、間歇泉を見物(ちかくに足湯がある)し、諏訪大社上社本宮に詣でる。あの豪壮な御柱祭の御柱が四方に屹立しており、これをあの勢いで山から落としてきたのかと思い、祭の激しさの印象を強くした。やたらと綺麗になった談合坂SAを経由して午後九時ころ帰着。

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