北海道には二人の知事がいた、といわれる。それが北海道開発局長と北海道知事である。戦前の北海道は内務省の直接管理下、北海道長官によって全ての事務が行われている。たとえば開発拓務など内地では農林省に属することがらなどである。戦後、北海道知事の民選、北海道の地方公共団体化により、にわかに国家事業としての北海道開発の実施を道庁に全て委任するか、あるいは現地に国の出先機関(北海道開発局)をおくかでもめることになる。政府各部、北海道、GHQの三者を軸に北海道開発局の成立を本書は論ずる。
主要な議論はGHQについては北海道開発庁・北海道開発局の設置には当初反対であったものが、徐々に無関心になってゆくさまとその政治的理由(たとえばいわゆる逆コース)が、北海道については北海道民のための開発を主張する田中革新道政のさまが、政府部内については、台湾朝鮮を失ったいま貴重なフロンティア・内国植民地として北海道を考え国による一括行政を志向する旧内務省勢力、全国一括開発をもくろむ農林省のありさまが描かれる。これはまさに北海道の『敗北を抱きしめて』であり、1940年体制が省庁再編によって崩壊した今、北海道開発局の設置が現在の北海道にいかなる影響を与えたのかを考えるよい機会となるであろう。
しかし問題がないわけではない。著者が元道新記者であるので、道新臭はおさえられない。北海道開発局設置問題と地方自治における憲法95条問題との関わりを最重視している点がそれである。そして無理矢理広島、沖縄と結びつけるのはどう考えてもやりすぎである。当時憲法95条問題が重要であったのは了解できる。しかし現在我々が論ずるべきは、果たして国家による北海道一括開発企画・執行が、経済的に成功だったのか、失敗だったのかを論ずることであって、原則論的な憲法問題に戻ることではないだろう。