CIAの工作管理官だったという人のサウジアラビア=アメリカ同盟の危うさを描く本.もとよりサウジアラビア王族の腐敗とかサウジアラビアの人口増加による社会安定性の低下は中東研究者にとって常識である.本書は石油と武器をめぐるアメリカ政界とサウジアラビアとの金の流れなどを平易に説明しておりその点では啓蒙書的役割を果たしうるだろう.
ただし各所にCIAの検閲による削除部分があったり,著者の記憶に頼った記述があり,信頼度については疑問を呈せざるをえない部分もある.それでもムスリム同胞団に注目し,一方でサウジアラビアのイスラームであるワッハーブ派を重要視し,両者の結節点として自力でイブン・タイミーヤにたどり着いている点は評価できる.学界と現実的政策の前衛たる工作員の結論が符合したことを示している.
本書でもっとも注意すべき点はムスリム同胞団そのものが秘密テロ組織であるかのように描かれていることである.ムスリム同胞団は現在ではきわめて曖昧かつ多様性をもった存在で各国でその様相は異なる.一方で政治的組織があり,テログループにきわめて近い組織もあるが,一方で病院運営や救貧などきわめて社会福祉団体的な役割を果たしている部分もある.ムスリム同胞団はもはや一枚岩で指揮系統が一本化された秘密結社などではない.
訳は平易で実に読みやすい.プロの仕事である.しかしイスラームやアラビア語についてはほとんど注意を払っていない模様で「アッラーの神(「の神」はいらない)」や「サイード・クトゥブ(サイイド・クトゥブ)」など許容しがたい誤記も散見される.長音関連のカタカナ音訳全般(フランス語も間違っている)にも信頼がおけないのは残念である.