日記をNucleusに移植していて1997年の日記を読んだ.一気に変換してMySQLに流し込むことも出来るのだけれど,あえて一文ずつ読みたい.
そう.あれは1997年の秋だった.
いまや私にとってHTMLというものは,なんのこともないただの身の回りの道具に過ぎない.しかし,あの1997年の秋は,全世界に自分の書いたものを配信できる,そしてそのために英語であろうがフランス語であろうが,あるいはペルシア語であろうが何でもするし何でも出来る.それだけ私は有能だと信じていた.事実,あのころが私がもっとも知識の吸収にどん欲で,希望に燃えていた頃だった.インターネットは世界を変える,そして私はその小さいながらも旗手の一人たりえると思っていたのだった.やがて降り積もる日吉の銀杏の落葉のように,知識が熟し,降り積もり,人々を驚嘆させられる.私はそれを実現できると間違いなく信じていたのだった.
人と人がシームレスに接し,同時に近代の鉄の檻を破ることがあるいは可能だ,と考えたのは高校の3年間であった.その基礎たる私とインターネットとの関わりはさらにさかのぼる.
はじめてWWWに触れたのは中等部の1年生の3学期,1992年の初春のことだったと思う.あのころはNECの98がスタンダードの時代で14400bpsくらいの電話回線でのパソコン通信が主流だった頃だ.いまの光100MBのおよそ10万分の1くらいのスピードで,FOMAと比較しても信じられないくらいのスピードだった頃だ.ブラウザもまだInternet ExplorerなどなくECMA Mosaicだった.その日たまたま母校をおとずれた東京大学の坂村健さんと,共通の恩師たる国語のYさんを通じて数時間も三人だけの濃密な空間をもったのだった.私がコンピュータやネットワークというものに興味を持ったのは,まさにそのときだった.(書きかけ)