題名を聞いて、知っている人ならば[[浪岡氏|浪岡北畠]]のことだろうな、という予想がつく。浪岡北畠というのは、後醍醐帝の建武新政の際に奥州に下り鎮守府将軍となった[[北畠顕家]]・顕信兄弟の子孫で、津軽平野の東部、[[浪岡町|浪岡]]に貴種としての権威をもって威を張った一族で、南北朝が終わり戦国末期、[[津軽為信]]に滅ぼされるまで続いた。
本書は、その最後の当主、[[北畠顕村]]の時代を描く。といっても、それ以前がおろそかにされるわけではなく、能楽者兆阿弥が顕村に、浪岡北畠の由来を語る、という形で本編の進行と関わり合って来るという形になっている。ややドラマトゥルギーとカタルシスに欠けるきらいはあるが、それでも所々に津軽弁や土俗化した京の風習をちりばめ、もう一方で顕村の京への帰来志向を描く著者の文章には堅実さが見られる。
さらに小技のように、[[聖護院]]や[[修験道|熊野修験]]との関わり、顕村の義父・[[安東愛季]]の描写、母の出自となる油川湊の商人たち、[[南部氏|根城南部と三戸南部]]の微妙な関係、川原の乱と九戸氏、そして浪岡滅亡の裏に暗躍する[[蠣崎慶広]]など、実に興味深いエピソードがさまざまに語られる点が非常に魅力的だ。
題名から想像されるような、後醍醐の遺詔があってどうのこうという話ではなく、むしろ土着した浪岡北畠のありようを描くものである。総じて淡々とした筆致で、あまり血湧き肉躍る戦国軍記の類ではないが、民俗学や社会史、地方史などに興味のある向きには悪くない書物だと思う。