以前から気になっていたもので、ようやく読んだ。タイトル(と副題)から思い描いていたとおりの良書。1574年の豊臣政権成立を決めた小牧・長久手の戦いと同時期の関東では沼尻の戦いが発生した。通例、本会戦は長陣にわたっただけでさしたる成果もないもので、北条氏と北関東諸族で戦われた一連の合戦の一つとしてしか評価されてこなかった。しかし、著者が本会戦の史料収集を進めるうちに当事者以外にも中央政権側や周辺諸侯など総計850点近くの史料が収集された。これらの史料批判により、著者は本会戦を小田原北条氏の関東一統戦略における突破口であったのみならず、東国における小牧・長久手に匹敵する会戦であったとする。つまり、織田信雄・徳川家康側が北条氏であり、一方の豊臣側が佐竹・宇都宮をはじめとする北関東諸族であったというのだ。
小牧・長久手ののち紆余曲折を経て徳川は豊臣大名化するが、北条は沼尻の合戦以降に得た政治的優位を利用して一挙に関東一統を図る。徳川という緩衝地帯の存在が、北条をして豊臣の圧力をやわらげ、結果的に惣無事令に反する秀吉の敵とさせてしまったのである。北条氏の滅亡に関しては、通例沼田真田領名胡桃城奪取事件がその契機とされるが、実に北条は小牧・長久手から一貫して秀吉の敵として秀吉側からは見られていたということが語られる。沼尻の戦いと小牧・長久手の戦いから北条氏は豊臣大名化するか滅亡するかの二者択一を運命づけられていたのである。これが「戦国」の終焉であって、もはや関東の半独立という「北条の夢」は少しく時代に遅れた物となってしまっていたのである。
以上のように本書は天正十年代、関東の政治史および関東=中央関係史を全面的に書き改める意義をもつものである。さらに藤木久志の諸論考の成果、あるいは使者の上洛にも莫大な資金がかかること、その徴収法などについてもわかりやすく散りばめ、大河ドラマ的な戦国イメージを多少修正する啓蒙的新書としての役割も十分に果たしている。新書とはかくあるべし、という近年珍しい出版であった。