ルーホッラー・ムーサヴィー・ホメイニー(富田健次編訳)『イスラーム統治論・大ジハード論』

新プロ(イスラーム地域研究)の成果。ついにペルシア語からの翻訳版が出た。抽象的な宗教用語や法学用語にいちいちペルシア語のルビ(もちろんカタカナだが)がふってあって、非常に有益。やはり日本語で読むと理解の度合いが違う。

今野緒雪『夢の宮~竜の見た夢』

十二国記を読み終わったので三田図書館でとりあえずながく続くシリーズを借りてみる。

が、しかし。世界観の書き込みが圧倒的に足りない……やはり、これは少女向け恋愛小説に括られる小説にすぎないように思う。中華風の世界を舞台とし、その一国の後宮をめぐる物語なのだが、国や王、官の存在感が希薄なのだ。国をめぐる悲恋も登場し、亡国の恨みをはらす、ということが主要なモチーフの一つとなるが、亡国の原因やそれを巡る民のあり方というのがさっぱりわからない。もっとも、ここまでながくシリーズが続いているので、徐々に世界観も深まっていくのかも知れないが。

小野不由美『華胥の幽夢』

『十二国紀』6つめ.いよいよ既刊の十二国記をすべて読み終わってしまった。また新しいお話を求めてさまよわなければならない。歴史でもなんでもよい。お話を読んでいるときのほうが明らかに私の思考は活性化する。たとえそれが白昼夢や妄想の類に過ぎないにしても、だ。

小野不由美『東の海神 西の滄海』

『十二国紀』3つめ.前巻の陽子の物語から離れて、その前後の物語となる。こういう物語の構成だったのか……。しかし陽子編もまだまだあってしかるべき、と思ったら、この次がそうだった。

細井計『南部と南部道中』

第I部「南部を歩く」が非常に詳しく有益。しかし第II部、第III部の細井先生執筆部は山川『岩手県の歴史』とほとんど一字一句同じで、いただけ ない。たしかに岩手県の中心は盛岡領であって、その叙述が県の概説と重なってしまうのはいたしかたないかもしれないが……。それだけにこのシリーズは、二 つ以上の県にまたがる領域や、ある県の「辺境」にあたる部分が面白い。

ところで以前岩手県立博物館を訪れたときにも思ったが、及川古志郎、野村胡堂、金田一京助、田子一民が盛岡中学の同級で文学志向をもっていて、その すぐ下には石川啄木がいるというのは実に凝縮されていておもしろい。ちなみに私たち東洋史を学ぶものの学祖ともいえる那珂通世もやはり南部の出身で(とい うより前巻『下北・渡島と津軽海峡』で詳しく語られている那珂梧楼の養子)である。