藤木久志『雑兵たちの戦場』

戦争があるから荒廃がおき,飢饉が起こるのではない.まず飢饉があった.そして飢え死しないために,生きるために,人々は戦争に身を投げ打っていった.歴史のなかに浮かび上がる戦争の常態とは,日本にかかわらず生計としての戦争であったのだ.

「餓え」という観点から見るとき,気候変動は,本書の場合の17世紀の気候的変動は,13世紀のそれと並んで非常に重要なのであった.ヨーロッパ史の文脈からいえば「17世紀の全般的危機」の諸相の一部にこの気候変動があったことは疑い得ない.本書のすばらしいところは,そのような餓えにあたって人々がどのように動き,そして社会がどのように変動してゆくかということを微視的な点から明らかにしたことにある.そこにこの歴史書が,単なる歴史学書を越えた意味を持つのである.

戦争,特に総力戦に人災の面が大きいことは否めないし,戦争を憎むことも重要である.しかしながら歴史上全ての戦争の原因を人災に帰するとしたら,それは自然の軽視であり,人々の「生」への欲求の軽視であり,傲慢であろう。戦争の原因が飢饉であり,口減らしとしての戦争が充分な役割を果たしたとき,戦争の原因は取り除かれるのだ.全ての社会・人文に心を寄せる人々に勧める.

なお,2005年に上記の新版が選書として刊行されている。

桜井英治『室町人の精神』

「室町人の精神」読了。少々荘園公領制の崩壊をもうちょっと詳しく書いてくれたら嬉しかった<唯物的にすぎるかもしれないが。政治史は物語風味。読みやすい。ただし「あの義教」「あの満済」(どの?)の多用が気にならないでもない。かわとさんの評室町時代とは?がわかりやすい。

井上史雄『日本語は生き残れるか』

『日本語は生き残れるか』。経済言語学という聞いたことのない分野から日本語の将来を考える本。「言語には格差がある」という大前提から始まっているので期待した。しかし残念ながら、発音・語彙・文法という言語の三大要素の難易度から、学ぶコストを導入しているだけで、おそらく「言語経済学」的であろう経済と言語の関連まではとても踏み込んでいかないし、内容的にもほとんどエッセイで、よくいわれていることを繰り返しているに過ぎない。もっとも日本語が発音的にはわりとやさしい方に属するなど基礎的なことを知らない人は読んでも面白いと思う。巻末のローマ字正書法(特にわかち書き)の確立の提言はわたしも賛成である。カナダに留学した後輩ao用にASCII専用掲示板を作ったが、このような狭いコミュニティでも日本語の文章をローマ字で書こうとするとまったく違う書き方をするのに愕然とした。ただし街中の漢字表示のルビなどは、なにもアルファベットでなくても字数的にもその倍のひらがなで充分ではあると思う。なにも外国語はラテン文字だけでつづられるわけではないということを考えるべきだ。おなじ表音文字でもハングルとは比較にならないほど容易である(もっともハングルも読む分にはほとんど苦労しない)し。

断片的にいかがなものかと考えさせるエピソードもある。p.93に「英語はイギリスの一地方で話されていただけ」であったのが、イギリス中に広がったというのは説明としてどうだろうか。「イギリスの一地方」がウェセックスなどをさすならともかく、文脈上これはイングランドのことと思われる。ウェールズだからイングランド語が使われていないのは当然であって、イギリスなのに英語が使われていなかった、のような書き方は問題がある。なぜなら、そもそもイングランドとスコットランド、ウェールズは別の国であるのだからである。だいたい今でもウェールズ語は充分に生きている(ウェールズには英語、ウェールズ語併記の看板がいっぱいある)のだから失礼な話である。著者はこんなことは知っているはずなので、読者を馬鹿にしている。

プリンス・オヴ・ウェールズに関しても次の逸話を紹介している。

イギリス国王が西方のウェールズ地方を征服したときに「次の国王はウェールズで生まれたものにする」と約束した。だれでもウェールズ人を国王に採用すると期待してしまう。

これは次のウェールズ公を、ウェールズで生まれたものにする、といっているのであって、ウェールズで生まれたものをイングランド国王にする、と言っているのではない。イングランドと連合王国を読み間違えた結果である。プリンス・オヴ・ウェールズの称号は、ウェールズ王太子の意ではなく、ウェールズ公の意である。これは単純な話でウェールズは王国ではなく独立公領であるからだ。ちなみにイングランド王太子としてのPrince of Walesとそれ以前のウェールズ公(首長とも呼ばれる)を区別するために、後者はNative Price of Walesと呼ばれる。また前近代において言語は軍事力に比例して広まるというのや、難易度に比例するというのは、テュルク語の普及を見れば首肯できるが、しかし一方でアラビア語がその異常な難しさにもかかわらず、リンガフランカとしての位置を(それもラテン語のように貴族だけの言葉としてではなく!)保ったのはなぜか、しかもそれにペルシア語とトルコ語がまざり、一種の共通言語使用体系ができていたのをどのように説明するのか、という点についてこころもとない。

また参考文献の提示があまりにも少ないのは惜しい。経済言語学という新しい分野を知らしめる意があるならもう少し挙げてもよいのではないだろうか。ついでながら東照大権現もでないIMEの馬鹿さもなんとかならないか。あ。こんなに書くなら書評掲示板に書けばよかった。

桑原水菜『耀変黙示録III 八咫の章』

こんなものは図書館で借りればよいのに。ミラージュであるから、別にいちいち論ずる必要もない。ただ今回はあちらこちらで変な日本語が目立つ。速筆のなせる技だろうか。

闇戦国以外の亡霊がうじゃうじゃとよみがえってきたというのもいよいよ物語が破綻して来た証拠であろう。でなければ相当なプランがあってから書き始めたことになる。最初からなんだって戦国の霊しか出てこなかったのか非常に謎であった。『火輪の王国』あたりで、古代のヒムカ族だのを復活させてしまったのが、おそらくこの流れの始まり。以降弘法大師だのなんだのとネタが古くなってきており、ここにおいて神武東征まで引っ張りだされた。初期のあたりでは北條氏康や東照大権現が非常に大きな力を持っていたはずであるが、崇徳院なんかが出てくるとどっちが強いのだろう。黄金の雨によって神社から神が消えているそうだが、やっぱ平安神宮の桓武帝や明治神宮の明治帝、乃木神社の乃木大将なんかも消滅しているのかな(笑)。ここまで来てしまったらもう、いくところまで行ってもらうしかなかろう。そのうちモンゴル帝国の南宋兵なんかも復活するかも

坂上康俊『律令国家の転換と「日本」』

本書は9世紀という時代の平安初期を描く。著者自身が述べるように9世紀という時代は奈良朝と摂関時代の間にあって漠然としたイメージしか与えられていない時代である。この時期の主要な論点は、律令制の崩壊と日本の古典的国制の形成期とどちらに重点をおくか、ということである(「はじめに」)。本書はその双方を概略しつつ、国際情勢の変化という要因を強調する。

日本の律令国家は、全国に国司のもとに軍団を設置するというきわめて均質的な軍国体制である。これは中央権力の維持が主目的というより、外敵に備えるのが目的である。なぜなら各国に独自の軍団を割拠させることは中央権力にとって統制可能な範囲が縮小するということであり、望ましくないからである。にもかかわらずそれをしたのはやはり、新羅・唐に対する防備と考えて差し支えない。そもそも律令国家は天智朝下の唐への恐怖から建設が大々的な始まった。しかし国際状況の緊張は天平宝字年間の対新羅関係を頂点として、唐の勢威の衰退を伴いつつ、一気に緩和に向かう。その中で軍国体制は緩み、また唐朝の巨大な存在感に支えられた東アジア国際体制に、すさまじいリスクを冒してまで参画する(遣唐使の派遣)意義は失われていった。当然に「(唐に)朝貢しながら朝貢を受ける(新羅)」という小帝国体制を無理やり維持する(=軍国体制による威力誇示)必要もなくなる。ここに帝国は再編され、辺域の蝦夷や隼人を外蕃のままにしておく必要もなくなり、調民(日本の内部的一般臣民)化が進み、官のレヴェルでは「日本」は半ば閉じられた帝国となってゆくのである(第三章「帝国の再編」)。

もちろん本書の真骨頂は、そうして日本の独自性が向上し完成しつつあった律令国家の姿を描くことにある。特に格による国の守の権限上昇をさして、格が律令そのものの適用範囲を狭めたものと評価しているのは重要である。本所法、武家法、公家法の並立という中世法の前提がここにある。徴税論理に関しても、律令体制から「神火事件」「里倉」などが展開され、やがて官物という地税と臨時雑役に転換されてゆくという複雑怪奇な道をたどるわけであるが、これを軍国の維持が不要となり、人々の把握も厳密さを欠いたままでもよいとなる。その上で税とからめて次のように著者は言う。

確かに戸籍もないのだから、効率は良くないかもしれない。その意味では、税の徴収は粗放的であるとすらいえる。けれども土地は逃げないのだ。手間をかけなくとも、目の前で生業に勤しんでいる連中を捕まえて、何とか取り立てていけば、当面はどうにかやっていけるのではないか、と国家が思い始めた。そして事実やっていけたのである。

なんと明快でわかりやすい説明だろうか。

ほかに「入唐求法巡礼行記」をはじめ、これまで軽く扱われがちであった円仁の事跡をきわめて詳細に紹介していることは概説書として高く評価できる。また概ね古代における集落は10世紀前後に一度廃棄されるが、このことに関しても徴税論理の転換とあわせて地方権力の形成という点まで論理が展開され、わかりやすい。

「おわりに」の一文もまとめにふさわしい。

「経験を踏まえて原理を追及し、その原理から今度は演繹的に理想的な国制や社会の規範を公然と語るという姿勢ではなく、試行錯誤を重ねながら、その時々の眼前の課題を片づけていくという姿勢、青写真を用意してそれに合わせるように現実を変えていこうというやり方と訣別した対処のあり方で良しとする姿勢が明確に打ち出されたのが九世紀という時代であり、これはその後の日本国家の政治の体質になって言ったといえよう」。

渡辺晃宏『平城京と木簡の世紀(日本の歴史04)』

本書は天武朝から称徳朝にいたる約一世紀の間の日本の歴史を追う書物である。

この時期は、部族連合的な大和王権の限界を乗り越えて律令国家日本を建設してゆく時代と位置づけられる。天智の跡を受け継ぎ天武・持統・不比等と代々受け継がれる強烈なまでの律令国家の完成への営みが主題となる。国造の郡司への転換をはじめ、中央政権の権威の確立と地方支配の強化は、まさに「日本」という国の原型を形成していった。政治史的に日本を日本として扱えるのはこれ以降である。そのような中心のテーマについて10年ほど前までに出土が相次いだ平城京の木簡研究の成果が取り入れられて効率よく展開される。

私は、平城京の時代というのは仏教を中心とした文化史と血なまぐさい陰謀史、そして律令理念の強行による庶民の辛苦、という印象を強く持っていた。これは私が学んだときの教科書の印象であったかもしれない。しかし考えてみれば、文化史と陰謀だけで政治が動くというのはおかしなもので、その裏には制度確立への政治過程もまた存在していたはずであった。本書はこれを非常によく説明してくれる。そして同時に称徳帝の死とともに奈良朝は終わり新しい時代がはじまる、という不連続の面とは別に、平安朝へと受け継がれていった連続の面も大きいはずである。

そしてその連続とはまさしく律令国家の成熟であることが説明される。著者は墾田永年私財法について「これほど長い間誤解されてきた法令も珍しいのではなかろうか」(p.225)という。墾田永年私財法は三世一身法とともに公地公民制をなしくずしにし、律令制の崩壊を招いたものと捉えられ、私もそう教わった。

このことは、中国における土地の所有というものを、古代から一貫して王土観念から来る「均」の発想による規制と現実重視(特に土地の細分化阻止の政策として)としての「勢」の発想による自由化のせめぎあいとして捉えられる、という岸本美緒氏の指摘を知ってから疑問に思っていたことであった。つまり前記の教科書の説明から考えると、日本においては結局国家は全体的な土地支配を掌握せぬまま、なしくずしに自由化に向かい、結局日本においては土地支配の完成は太閤検地に至るまで権力が放棄してきたことであると考えざるを得ない。しかしそのようなことがあろうか?

著者は二法制定の意義を中国法の単なる継受に過ぎない「大宝律令を日本社会に適した法令に生まれ変わらせようとする努力の痕跡」と受け止め、その根拠を説明する。そもそも中国の均田制は

  • 一定の基準による国家の田土の分与
  • 田地所有の限度設定

という二つの制度を柱としている。ところが日本の班田制では前者のみを継受したため限度設定額そのものを班給した。当然、受田額は限度に最初から達しているためそれ以降の開発は単に収公されるだけで開発者にとってなんのメリットもなく、開発が行われないという融通のきかない制度となっていた。この修正が二法であったという説明である。むしろこれによって初めて新規開墾地を含めた土地支配の掌握が完成したわけであり、律令国家は一段と完成に向かったと見られるのである。

ということはやはり土地制度の崩壊というより一種柔軟なシステムの完成であろう。ここにようやく次代の「名」への再編を視野に入れることができるわけで、いつの間にか班田から荘園へという印象を拭い去ることができるのである。

ほかに母系からの帝位継承にかかわる正当性の付与(元正を聖武の母と擬す)や、現人神たる天皇の上に仏をおき、律令国家における神と仏の習合という観点(聖武天皇の出家)、皇后として光明子が天皇に近い権力を持っていたことなどの観点が興味深い。また長屋王の変に関しても一概に藤原対反藤原としてみることを戒めている。

聖武天皇についての従来の神経質でひわわであるというイメージ修正することが多くなっている(瀧浪貞子『帝王 聖武』講談社メチエ)が、本書もひよわな聖武と藤原氏の陰謀という見方で失われてしまう律令国家の形成期を鮮やかに描き出しているといえよう。