カテゴリー: 読了
吉岡忍『墜落の夏』
山本博文『長崎聞役日記――幕末の情報戦争』
船橋洋一『同盟を考える――国々の生き方』
鎌田勝『日曜日だから管理学を身につけておこう』
杉山隆男『兵士に聞け』
歴史学研究会編『岐路に立つ現代世界』
島森路子『広告のヒロインたち』
安田雪『大学生の就職活動――学生と企業の出会い』
谷川稔, 北原敦, 鈴木健夫, 村岡健次『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』
本書はEU統合を進めつつあるヨーロッパの19世紀の姿を描き出す。
谷川による序は、木村尚三郎による近代を新しい中世とする「暗黒の近代」論から説き起こされる。法王庁、神聖ローマ皇帝の国際的普遍権力を現在のEUと重ねあわせる見方もあるが、谷川はこれらの権力は地域的な個性が競合し微妙な均衡がなりたった時代、そのうえに存在したものであるとする。ゆえに過度に重ね合わせることは危険であり、民衆レヴェルがあるアイデンティティをもち、社会が工業化をとげ、現在に至る国民国家が形成された19世紀ヨーロッパは興味深く、ドラマ性にとんだ時代であるがゆえに、考察の対象として重要であるとの結論に導く。
第1部「フランスとドイツ-国民国家へのはるかな道」(谷川)は仏独を谷川の筆に委ねる。その19世紀、フランスでは「市民」を、ドイツでは「国民」を作っていった。
フランスは大革命以降19世紀を通じて度重なる革命と市民蜂起の歴史を歩んできた。そこには「普遍的な共和国」という市民たちの固く抱く「意志」があった。そして、その象徴こそが歴史に繰り返し現れるパリのバリケードだった、とする。一方のドイツでは国民が作られていった。その過程が生き生きと描かれる。「創られた伝統」の好例であろう。しかしながらここで注意せねばならぬのは、ドイツ国民は創られたにせよ、現実に意味のあるものとなっていった、ということである。実態を備えた以上、その「国民」が虚構であったとしても歴史学は分析せねばならない、との示唆は重要である。
また谷川は従来の反動としてのウィーン体制論にも一石を投じている。これをナポレオン的ヨーロッパの再分割と捉えている。つまり復古というよりヨーロッパ新体制であるとしているのだ。
第2部「自由を求める南ヨーロッパ」(北原)はイタリアの統一までを民衆の秘密結社に特に注目し、1848年革命前後がクライマックスとして描き、第3部「19世紀ロシアの嵐」(鈴木)はアレクサンドルI世、II世の改革とロシアの農村共同体ミールの強さ、またロシア本来の改革運動の「専制」の側面を効率的に説く。
第4部「ヴィクトリア時代の光と影」(村岡)。産業革命論を適度に押さえた上で、19世紀を通じての「自由主義」のもつさまざまな意味を非常に多角的な筆で描く。この「自由主義」とは当時の文脈で言えば「民主主義」とは対抗をなすものである。それは18世紀の保護貿易重商主義の連合王国を支配した地主貴族層に、中流階級的にジェントルマンが加わり支配した時代の、まさに「哲学」であった。ベンサム的功利主義は中流階級が上層へと合流し、自由党支配を生み、イギリスのさまざまな覇権を支えさせたのである。その流れは労働者の貧困と結びついていたが、やがて議会政治は「政治的」理由によって選挙法改革などを通じ、いつのまにか労働者の上層をも巻き込んで行く。そこに革命なきヴィクトリア朝連合王国の秘密があった。
本書は社会の流れにも無関心ではない。フランスでのカトリシズムと教育の問題=ライシテへの道、ドイツでのブルシェンシャフトの旗、イタリアの秘密結社、イギリスの労働者と中流階級のジェントルマン化とその欲望(これをもった人々:スノバリ)、あるいはパブリックスクールの進展などにも目を凝らす。まさに19世紀ヨーロッパを見つめつづけた人々が贈ってくれた書物といえる。
そしてまたナショナリストとパトリの概念についても、再び私に問い直すよう要請してくれたことを感謝したい。
マルクス, エンゲルス(大内兵衛, 向坂逸郎訳)『共産党宣言』
ナンス, J.J., 『ファイナル・アプローチ』(全2巻)
グルーエンフェルド, L. 『脅迫された管制システム』
佐藤次高『イスラームの生活と技術』
寺田隆信『紫禁城史話――中国皇帝政治の檜舞台』
コーエン, P.A., (佐藤慎一訳)『知の帝国主義――オリエンタリズムと中国像』
藤沢周平『密謀』
ピータース, エリス. 『修道士カドフェル』(全20巻)
私が読んだのは社会思想社(現代教養文庫),1996.ころの版だがリンクは現在流通しているもの.