青弓社編集部編『従軍のポリティクス』

青弓社らしい本.どこからどこまでカギ括弧の多いやや「現代思想」系の本.特に冒頭の加藤哲郎論文はいったい何を言いたいのかわからない.しかし読み進むにつれておもしろい論考が増える.従軍牧師(これは連隊に1人配属される宗教者のことで,もちろんイスラームのイマームもいる.全世界で13人,沖縄に1人いるらしい)の歴史的考察やアメリカ軍人日本人妻の今次イラク戦争時の聞き書きなどは非常に面白かった.

イラク侵攻においてアメリカ軍に従軍した朝日新聞記者のエッセイは,バランスが取れている.ジャーナリストの戦場での身の置き場によって視角が変わるということをよく認識している.朝日が駄目な新聞だからといって全ての記者が完全にだめということではないらしい.

またフェミニズムからの観察では,アルグレイブにおける一連の虐待は戦場における性別分業の逆転現象が起き始めたという指摘がなされている.女性兵士によるイラク男性の女性化は,これまでの戦場にみられなかったことで,戦場における母性や客体性という女性のこれまでのあり方規定も見直しが迫られているという.

全体として良書なのだが加藤論文のせいで空虚で高踏的な戦争批判本のようにみえてしまうことが残念でならない.

加藤良平『エプソン―「挑戦」と「共生」の遺伝子』

プロジェクトX系.服部精工の一員エプソンのプリンタ事業の萌芽は東京オリンピックで精工舎がクオーツ時計を作成した際に,計時結果を出力する機器を作成したところにあるという.たしかに時計屋さんがプリンタになぜ手を出したのかというのは疑問に感じるところであろう.エプソンの社風はソニーに似ておりかなり自由なものだという.しかし,その遺伝子はソニーが「技術」「地球企業」「エンタテインメント」とすればエプソンのそれは「エンタテインメント」が「共生」に置き換わったものだという.諏訪という地域を重視し,技術も独占せず公開し,環境への配慮も最優先するエプソンの姿勢はまさに共生にふさわしいと言えよう.注意すべきはそのような企業がなぜインクカートリッジのインクを半分使っただけで「インクがありません」と言い出すインクジェットプリンタを作っているのか,ということだろう.またエプソンEpsonの社名は1968年の最初に作成したプリンタ「EP(Electric Printer)-101」の子供sonから来ている.どちらもSONYを彷彿とさせる.

松田美智子『お茶漬けの味100』

お茶漬けもここまでバリエーションが広がりうるという本.チキンスープをかけたり出汁をかけたりするのはやや邪道という気がするが,それを除いても充分な量のレシピがのっている.意外というか感心したのが,緑茶だけでなくほうじ茶や烏龍茶を用いるということ.これによって,強い臭いや香りをもつ具も自然な味わいになりそうだ.とりあえず作ってみようと思ったのは「炒め香菜の茶漬け」.これは烏龍茶でいただく.吸い口に金ごまを用いるのがポイントだろう.

2004年8月第5週の読みたい本



























アントニー・ビーヴァー(川上洸訳)『ベルリン陥落 1945』

独ソ戦史.あいかわらずスターリンもヒトラーも狂乱状態だが,今作でもっとも注目されるのはソ連軍の軍紀弛緩の度合いである.これはよく知られていることだが「解放軍」たるソ連軍は進出する先々で婦女暴行を働いている.ソ連はドイツ軍の侵攻で軍民ともに甚大な被害を出しており,その報復が主因であったと説明される.本書ではドイツ人だけではなく,ドイツによって連行されたソ連邦女性やユダヤ人女性が解放された途端にソ連兵のレイプされていたことを数々の一次史料を用いて詳述し,戦場の極限的情況における性衝動を指摘している.

もちろんこの極限的情況を悪化させたのは赤軍司令部である.伝統的に兵を完全に消耗品と考えていたし,そのうえスターリンは米英軍がベルリンを先取し独軍と合流してソ連軍に攻撃をしかけてくるという妄想からベルリン攻略を是が非でも急がせ,膨大の兵の損耗を招く突撃を繰り返させた.チャーチルは事実ベルリン先取をもくろんでいたがローズヴェルトをはじめアメリカはソ連の歓心を買うことに汲々とし急速の進撃を拒否している.結果としてドイツ東部から現ポーランドにかけてはソ連軍の暴虐的占領にさらされたのである.

第二次世界大戦は総力戦であった.戦場も銃後もあったものではない.それでも人口周密な非戦闘員居住地における戦闘は悲劇である.この悲劇性の度合いは軍紀の厳正さに強く依存する.人間の想像力の基本,相手に対する自分の振るまいが相手にはどう映るか,換言すれば自分がしようとすることが自分にされたらどう感じるか.これが侵攻ドイツ軍には欠けていた.反撃するソ連軍は復讐の衝動を抑えることができなかった.それ以上に軍紀の何たるかも理解していなかった.結果として三十年戦争当時と何も変わらない戦場の悲劇を生じたのである.ここから考えられるのは,戦争が好ましいものではないという意識と同時に,戦争が起こったときの軍紀をいかに維持するか,衝動的行動をいかに抑えるかという教育の重要性である.ひとたび戦争がおこれば,戦前の正規軍だけで戦争を遂行することはない.平和を考え戦争に反対していた人でも戦場に投入されると衝動的行動を抑えられないのは数々の記録が証明している.自分が戦場に置かれたときどれだけ遵法的に振る舞えるかを教育するのは重要なことであろうと思う.日本本土は陸上戦を免れた.この幸運さの理解なくしては中国戦線,沖縄戦,朝鮮戦争へのまなざしはゆがんだものになるのではないだろうか.

ところで歴史をやってる立場から見ると地図が10近く入っているだけで親切な本という印象だが,こちら方面に詳しい人に言わせると軍事地図として失格らしい.

小林作都子『そのバイト語はやめなさい―プロが教える社会人の正しい話し方』

バイト語とはファミレスやコンビニのバイト君たちの口にする妙なビジネス語のこと.たとえば「五千円からお預かりします」などがある.著者はバイト語の特徴として,敬語の誤用,敬語の過剰な組み合わせ,文意のぼかしがあるといい,数々の例示をして説明する.本当にこんなことを言う人間がいるのか?というものもするが大多数は納得できる.さらに文字で読むと何と言うことはないものの自分でも気をつけていると使っている物もある.たとえば「ん」.これは撥音便の一般化で「田中は席を外しておりますで,折り返しお電話差し上げたいですが」などと使うがビジネスではふさわしくない.

シンプルかつ直裁にものをいうこと.これが本書の提要であり,冒頭のチェックリストで一つでも引っかかるものがあったら一読しておくほうがよいだろう.ただし「ビジネス語」も国語的には妙なものがあるということは必ず意識の片隅においておかないと教養のないビジネス馬鹿だと思われるので注意が必要だろう.

2004年8月第3/4週の読みたい本






























ポル・ポト<革命>史―虐殺と破壊の四年間

著者はバンコク特派員としてカンボジア内戦を報道してきたジャーナリスト.カンボジア現代史の研究,特にポル・ポト政権の数年やクメール・ルージュの内実については内戦中に一次史料の数多くが失われたこともあってあまり進んでいない.またベトナム戦争や中国へのまなざしの違いによってポル・ポト政権賛美を行ってしまった研究者もおり,ポル・ポト政権についてはいまだにジャーナリズムとアカデミズムの間の壁は高くはない実情がある.本書も可能な限りの註をうつなどある程度の学術的体裁を持っており信頼に値する概説書であろう.とまれ,暴挙としかいいようのないポル・ポトの<革命>が侵攻していたのは1970年代の半ば,という現実は直視しておいたほうがよい.

古川貞雄, 花ヶ前盛明編『北国街道―東北信濃と上越 』

北国街道は軽井沢近くの信州追分で中山道からわかれ,小諸,上田,戸狩をへて善光寺平に入る.ここで二手にわかれ,一方は松代,一方は善光寺門前を経由し合流.野尻をへて高田,直江津へと至る道のりである.おおむね以前の信越本線の軽井沢以北に等しい.本書は東信,北信と上越を交互に扱うかたちでの編集.双方ともよくまとまっているのだが,二地域平行で一冊なので全体の密度,特に上越の概説史がやや薄くなっている気がする.とはいえ,東と西の政治権力がぶつかり信濃で微妙なバランスを形成している点を重視し,南北朝・室町期を重点的に扱うなど,テーマの選定は秀逸.また武蔵国府が南に偏りすぎ,信濃国府が東に偏りすぎているという問題も,信濃への中央権力の浸透が東山道の西からではなく東から行われたためという仮説を立て,大域的な説明を試みるなど,シリーズ中で地域を大きく捉えている点がよい.

高崎真規子『少女たちはなぜHを急ぐのか』

題名にひかれて読んだ.二部にわかれており,前半は15歳くらいから23歳くらいの女性たちへのインタビュー.後半はその周辺にある大人,学校保健医や産婦人科医,占い師,少女向雑誌の編集長などへのインタビューである.なぜHを急ぐのか,という問題に対し,著者はSEXが自由になったから,という安直な見方をとらない.SEXそのものが前代に比べ開放的になったわけではなく,むしろ「若さ」価値が少女たちのなかで重要性を占めるようになったためと考えているようである.たとえば商品としての自らの性を考えるとき17歳の性のほうが25歳の性より,価値が高いと考えているためだという.そこから先がやや説得性に欠けていて,将来の自己実現に希望を持たないので,若いということに価値があるという発想になるのだ,と展開される.分析を真に受けて読む本でもないから,それほど重大な欠点ではない.インタビューはそれなりに面白い.性感染症の広がりについて書いてしまったのは本書の一貫性を失わせておりマイナス.

ジョン・R. ヒューム , マイケル・S・モス (坂本恭輝訳)『スコッチウイスキーの歴史』

非常に大部の訳書.ウィスキー製造が密造と税法の絡み合いの中で発達してきた産業史そのものであるということがよく分かる.ローランドとハイランド,モルトとグレーンそれぞれが今日に至る事情をこれほど詳細に書いた日本語の書物はないだろう.特にローランドのグレーン・ウィスキーとロンドン周辺でのジンの関係は重要である.グレーンをさらに蒸留してジンを作るのである.良書であるが,読者を選ぶ.固有名詞がいやというほど出てくるので,スコットランド史,イングランド史,さまざまな単位,ウィスキー製造法についての基礎知識がないと読むのが苦痛になってしまうだろう.

龍居庭園研究所編『結ぶ/塗る・突き固める 垣根・土塀作法』

近年,生け垣も竹垣も土塀もなかなか見かけない.地元ではちらちら見たものだが,東京に来てから,たとえ大和郷といえども(あるいは近代の産物大和郷だからこそかもしれないが)ほとんどがブロック塀である.建て主側の意識の問題も当然あるが,一方で垣根を作れる庭師も相当に減っているのではないかとも思う.一定の垣根の作法は庭師だけでなく家主が知っておくべきことでもあろう.本書はよくまとまった作法解説書で,特に垣根については伝統墨守の立場ではなく,いかに応用するかという例も紹介している.それにしても沼津垣は美しい.

飯田文弥編『甲斐と甲州道中』

甲州道中の山梨県域をカバーしており,県史と枠組みが完全に重なる.そのためか政治史の記述は少なく,本シリーズの他書と比較して社会経済史の割合が多くを占める.正直あまり面白くないのだが,それでも鰍沢における富士川の水運はおもしろい.

神崎 彰利, 福島金治, 大貫英明, 西川武臣『神奈川県の歴史』

前近代を鎌倉を中心に,近世を高座郡と小田原藩,近代を横浜を中心に描く.特徴として中世の扱いが非常によい.特に永享から享徳にかけての上杉氏と当地の関わりに詳しい.上杉氏の町としての神奈川宿という情報は一般読者にも有用だろう.また近世では津久井県への言及がたびたび行われる.津久井は近世に全国でも唯一の行政区分「県」を形成し,また現在でもあまり神奈川として認識されていない地域である.このような地域の特色をきちんと描き出している点も本書の良書たる所以であろう.

デレック・ポック(宮田由起夫訳)『商業化する大学』

ハーヴァードの学長を20年弱にわたってつとめた人物による大学商業化への警鐘.大学スポーツと産学連携に関わる諸問題(利益相反など特にバイオ関連で),インターネットを含めた通信教育など社会人教育の問題が論じられる.結論としては短期的利益追求では基礎科学,人文科学などの衰退をまねいてしまうという議論である.また大学教育の質を維持するためにも有害であるという.なぜなら学生が大学・教授・授業を選択するうえで外部性と完全情報という市場メカニズムが正しく働かないためである.日本とアメリカでは大学存立の土壌が違うが,商業化がずっとはやく起こったアメリカでどのような事態が生じたのかを知っておくことは,国立大学の独立行政法人化が進む現在の日本でも重要であろう.

竹内誠, 池上裕子, 藤野敦, 古泉弘, 加藤貴『東京都の歴史』

非常にまとまっていて読みやすい.特に中世がすばらしい.太田氏関連の記述が豊富.これも江戸が徳川家康の入国によってはじめて発達したわけではなく,江戸湊が中世にすでに関東における流通結節点として紀州船や伊勢船が入港していたとする最近の研究の反映であろうか.ほかにも飽きやすい社会経済史も本書のように叙述されれば面白い.強力な執筆陣を揃えただけのことはある.地方史の書物はややもすると左がかった古くさいものになりがちだが,江戸だけにそのようなことはない.