カテゴリー: 本
ビックス, ハーバート, (吉田裕監修)『昭和天皇』全2巻
香月淳一郎『記憶すること・記録すること―聞き書き論ノート』
北岡伸一『独立自尊―福沢諭吉の挑戦』
ロング, ダニエル, 編著『小笠原学ことはじめ』(小笠原シリーズ 1)
平湯晃『細川幽斎伝』
井上勲『王政復古―慶応三年十二月九日の政変』
岩月謙司『娘がいやがる間違いだらけの父親の愛』
金冲及主編(劉俊南, 譚佐強訳)『周恩来伝1949-1976』(全2巻)
石丸次郎『北朝鮮難民』
李志綏(新庄哲夫訳)『毛沢東の私生活』(全2巻)
林克ほか(村田忠禧訳)『「毛沢東の私生活」の真相―元秘書、医師、看護婦の証言』
金冲及主編(村田忠禧, 黄幸監訳)『毛沢東伝1893-1949』(全2巻)
横山宏章『中華民国―賢人支配の善政主義』
増井経夫『大清帝国』
佐々木隆『明治人の力量』
鈴木淳『維新の構想と展開』
林秀彦『失われた日本語、失われた日本』
あまりにひどいのでコメント。単純な日本文化特殊論。比較はせいぜい英独仏のみ。以下、要旨。
日本人は農耕民族で定住していたから「質の文化」を発展させた。日本人以外はさすらいの民だから「量の文化」。「量の文化」の諸語と違って、日本語は情緒を重んじて理屈っぽくない。むかしから訴訟がほとんどなかったのがその証拠である。暗黙の了解が働く美しい日本語がなくなってしまった。ああ。
と、まぁ。国粋右翼が喜びそうな本である。教育勅語を美しい日本語の典型として出したりしている。擬古文にはそれなりの典拠のある漢文であることは完璧に捨象されている。文字自体はあまり問題ではないそうだ。日本人が定住し云々というなら、定住していた近世の百姓の文章を読むがいい。あふれるほどの訴訟文書と触を見つけることができるだろう。これでも訴訟が少ないと言えるだろうか。そして著者が美しさの源流と考える万葉を歌った人びとは、古代律令国家の成長にあわせて全国を動き回った人びとなのである。このあたりでかなりの矛盾が生じてくる。が、これ以上考えるのはやめる。
なぜか。それは単純で、著者の育った昭和初期の日本語が古来不変の日本語だという思いこみが本書を支配しているからである。その証拠はいくらでも見つかる。伝統を論ずるものが、みずからの記憶する「昔」のみで論ずるとしたら、それはただのノスタルジーである。それがノスタルジーのままならよいが「ノスタルジー」にすぎないものを往古不変の伝統であるかのように語られると虫酸が走る。伝統には、それが形作られてきた過程、すなわち歴史があるのである。そのことを無視した昭和初期への復古論が本書なのである。であるから、「失われた私の「日本語」」について語った書物なのである。このような書物を出版した草思社に失望した。