春江一也『プラハの春』

春江一也は、現役外交官、現ダバオ領事江口氏である。本書は現役外交官として「プラハの春」に遭遇した氏が、現実に取材をして再構成したフィクションである。この中で問われるのは、本来あるべき社会とはなにか、人として生きる上で権力とは何か、ということである。ハンガリー動乱でも、プラハの春でも、第一次第二次天安門事件でも人々はインターナショナルを歌った。そこに込められていた思いはいったいどういうものだったのだろうか。

本書に登場する人々はいたく魅力的だ。カレル大学の老講師で実はナチスのころから続く無抵抗「言葉による」テロの指導者、DDR市民にして共産党のあるべき姿を夢見る女性。実際のプラハの春を指導したドゥプチェク、冷静温厚にして人としてのあり方を示す日本大使、国民を守るということを至上課題とする老軍人大統領ズボボダ。彼らの実際の群像はいったいどうであったのだろうか。そこに歴史を紐解くヒントがある。

加藤弘一『電脳社会の日本語』

この題名は電子ネットワーク上のチャットや掲示板での日本語の形を問題としている、という印象を与える。ところが実際は全然違っていて、本書の問題はいわゆる「文字コード」に関わるものである。どの文字にどのコードを与えるかで表示される文字は全く違ってくる。この中で漢字のさまざまな異体字の処理が注目され、音を文字に移しているアルファベットと、もともと形が先にある漢字での取り扱いの違いが浮き上がってくる。文書のデジタル化などが進められる中でテキストの中の「字」をどのように扱うかはきわめて重要な問題であり、地に足の着いた論点であるといえよう。

神戸新聞社編『神戸新聞の100日―阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い』

阪神大震災は阪神一円を灰燼と帰した。神戸新聞社もまた例外ではない。本書は震災発生前日から完全自社発行復旧までの百日をジャーナリズムのありかたとともに問う。震災は神戸新聞社の入る神戸新聞会館も襲い、CTSをはじめほとんどの設備を使用不可能とした。その中で神戸新聞編集局は、京都新聞との友誼のもとに、京都新聞での製版を決意する。京都新聞もこれにフリーパスをもって応えた。一方で瓦礫の中をさまよってジャーナリズムとは何か、という問いを突きつけられる新米記者たちの想いは複雑である。

実際の被災者とジャーナリストとしての立場を併せ持つ神戸新聞だからこそ、この書物を作れたのだと思う。一度読むべきだと思う。そして続編『大震災 問わずにはいられない』へと視点はうつってゆく。忘れつつある今、大震災を大きく見つめ直すべきだ。

日本経済新聞社編『北海道はよみがえるか―経済再生への挑戦』

私は北海道が好きだ。いま北海道経済の不況は日経「地域に未来はあるのか?」を待つまでもなく、人口に膾炙している。しかしながら。一般的にある時点で可能性がない、とおもわれるところにこそ、可能性は見つかるのである。

すでに本州はその過密性、既存の就業形態から限界が問われている。その中で自律分散の就業形態がありえるのは、広い土地と美しい大地を持つ北海道であると私は考えている。その意味で北海道こそは「チャンス」なのである。