蘇叔陽(竹内実訳)『人間周恩来―世界に慕われた<大地の子>』

出版年をみていただければわかるとおり、周恩来の没後すぐに出た本である。非常に人民的で、周恩来はまるで神様のようだ。子供向けだそうで、日本でもよくある偉人伝系の書き方といえばわかるだろうか。

私は周恩来は好きだが、ここまで賞賛し、文革での弱さや毛澤東を規制できなかった点などが見落とされるのはいかがなものかと思う。もっとも子供向けの本に、それを求めるのは酷ではあろうが。ある意味、中国的な革命観や統治者観は伺える。人民共和国の建国者にしたところで、やはり王朝の創始者と同様の英雄なのだ。

笠原真澄『サエない女は犯罪である 続』

世の中きれいな人、かわいい子、スタイルのいい人、センスのいい人……案外に結構たくさんいるものである。ところが。一方で確かにさえない女もいっぱいいる。著者が書く知り合いの妹のさえないストーリーは爆笑ものである。これは……さえない女を人間観察して時間つぶしする技術を学ぶために非常に有効な一書である。

野村正樹『ビジネスマン 夜・寝る前15分間の奇跡』

ビジネス系の本。内容的にはうそくささにみちみちた生活術を説いてくれる。うそくさいのだが、同著者による「朝出勤前の奇跡」はきわめて合理的で朝方生活を提唱するなかなかよい本だったのでよんでみた。

が、おもしろくない。だいたいが2ページ程度を夜一章ずつ読め(15分で一章読み終わるから、それが奇蹟につながる)というコンセプト自体がばかばかしい。こんなもの1時間あったらすべて読み終わってしまう。

高橋文利『メディア資本主義―金融・市場のインターネット革命』

おそらく東証でのお立ち台……じゃない、立会場の廃止にかかわる時事出版であろう。著者はジャーナリストなので、インターネット利用にかかわるビジネスの将来像をおおむね網羅して整理している。新聞などから断片的に得た知識を整理するために有効な書であるが、一冊としての価値となるとどうか?

西村清和『電脳遊戯の少年少女たち』

コンピュータ・画面をしようしたゲームをするという行動を「遊び」の哲学から考量する。やたらと難解であり、理解しがたい。しかもその結論というのが空き地や屋外での遊びの復活へ、という復古主義的なのはいただけない。

小嵐九八郎『せつない手紙―こころを伝える綴り方講座』

せつない、というよりは素朴で、少々乱暴な…(と、わたしは感じる)…そういう印象の手紙を書くための本。本当に心を伝える手紙の紹介をしてくれる。ただ妙に素人臭いというか粗野な感じ。好きな人は好きだろうが私は苦手だった。

上坂冬子『我は苦難の道を行く―汪兆銘の真実』全2巻


日本で汪兆銘というと、なぜか「漢奸」論を逆輸入したような印象、すなわち傀儡にすぎず、しかも卑怯な人物という印象がある。

本書はノンフィクションとして汪兆銘の遺族を訪ね、文人政治家としての汪兆銘と当時の中国政治の流れを一つ一つ解き明かしてゆく。題名に示されるとおり汪兆銘は、あくまで反帝国主義の立場に立った上で、日本と和平し自主独立の中国を導こうとしていたという。それは彼がなによりも共産主義を警戒していたからでもある。

本書で示される関ヶ原戦時の真田家ばりの蒋介石との密約――すなわち国民党を二つに割って和平と戦陣の両路をとる――は衝撃的であった。

ただ私はノンフィクション的な文体には反感を覚えてしまうので、読むのがつらかったのも事実である。

劉傑『中国人の歴史観』

よく中国外交の「わからなさ」が話題になる。曰く融通無碍にもかかわらず、「自主独立・主権尊重」の基本を貫き……云々。本書はこれらの点は決して社会主義のイデオロギーだけに帰すことのできるものではなく、また「中華思想」や「近代国民国家」のみに帰すことができるものでもなく、これらの複雑に絡み合った結果であるとする。

特に外交の点では、1世紀半にもわたる「弱い中国」の記憶が今も生きていることを忘れてはならないという。なぜなら時に用いられる「以夷制夷」政策はむしろ小国外交の基本でもあるからだ。この点が建国以来の共和国の主是であるナショナリズムに反映していると説く筆者の目は鋭い。文春新書であるからといって右側の中国おとしめ的言説ではないので注意!

天児慧『中華人民共和国史』

特選版.最近の概説書ではもっともすぐれている。中国共産党をマスタープランが確立した「Leninistの党」としてみるわけではなく、中国をとりまく政治の中できわめてダイナミックに展開した執政党として見る現実的な書と言える。よく1949年の中華人民共和国成立をもって一画期と見てしまいがちだが、天児の『現代中国』で示された革命、近代化、ナショナリズム、International Impact、伝統という5つのファクターを設定して中共の政策を見て行くので、中国革命の中国的部分と革命的部分を連節的に説明することを得ている。毛澤東が革命とナショナリズムなら鄧小平は近代化とナショナリズムである。この視座をもって現代中国政治をみると、そのダイナミックな変容の未来もある程度説得的になるのではないだろうか?

米倉誠一郎『経営革命の構造』

産業革命期イギリス、成長期アメリカ、高度成長期日本の三つの経営革命のエピソードをつづる。そこには必ず個人の力によるイノベーションがあった。そして革命が起きる時と場所には、ある産業に対して必要ないくつかの技術の間に進度の不均衡が生じていたという。つまり、繊維産業でつむぎが早くても、織りが遅ければ、織りのスピードがボトルネックとなりつむぎのスピードを相殺してしまう。だからそこで織りも速くしようとする力学が働くというものだ。これをイノベーションの要因として考察してゆく。

経営のイノベーションにかかわる概説的エピソード集として考えを整理するのに有用。

2000年(通年)の読みたい本























































































豊島修『死の国・熊野―日本人の聖地信仰』

熊野信仰の歴史についての概説。

熊野には、海の宗教と山の宗教が古代より存在した。それが垂迹論などによって体系化されて中世をむかえてゆく聖地熊野の変容を描く。

基本的に妥当なのだが、論点があまりにも多岐に渡り構成が乱雑。文章が少々こなれていないので読むのに苦労するのが残念。

多木浩二『戦争論』

歴史哲学の観点から1900年代の戦争を振り返る。本書で提示される重要な視点は、クラウゼヴィッツの有名な「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」の否定である。すでにこれはナポレオン戦争のころの発想であり、近代の戦争とは政治以前に発生しており、むしろ政治こそが戦争を「幻想の目的=仮想未来」として動いてきたのではないか、という論だ。ここから推論して著者はいう。ユーゴでのNATOの空爆などでは「戦争そのものの発生する条件が未知のものを含んでいるように思える」と。

もうまもなく21世紀を迎える我々にとってはきわめて現実的に恐ろしいことである。もし、戦争が起こってしまったら私たちは「サラエヴォ・ノート」の著者たちのようにたくみな権力回避の言説をとって戦争を脱目的化する以外にないのであろうか?

纐纈厚『侵略戦争―歴史事実と歴史認識』

本書はいわゆる「自由主義史観」の誤りを歴史学の研究者の立場から論難したものである。

当然、若干「左」のにおいはする。沖縄戦における軍中央の無為無策、住民を持って楯とする戦略を批判するのは正しい。だが一方で「右」の人々によく引用される太田実少将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ後世格別ノ御高配ヲ」について一言も触れないのは誤っている気がする。

とにかくアジア・太平洋戦史にかかわる言説を整理するには有用であろう。