複数のメディアが報ずるとおり、イラン北西部ガズウィーンを中心に大規模な地震があり、数千人の犠牲者が出ている模様だ。Tehran Timesによると、もっとも被害が大きいのはテヘランから西に400kmほどのガズウィーン州。
イランの地理は、おおむねハンバーガー状であると言える。土漠高原から構成される中央部を、カスピ海岸の北部、ペルシア湾岸の南部が包み込む形と なっている。もとより、中央部は水に乏しく、地味も痩せ、人口が少ない。したがって、人口稠密な地域は挟み込むパンの部分(北側にはテヘラン・タブリー ズ・マシュハド、南側にはアバーダーン、ホッラム=シャフル、バンダレ=アッバースなどの都市を擁する)である。特に北東のホラーサーンとならんで、北西 のアーザルバーイージャン(いわゆる南アゼルバイジャン=イラン領アゼルバイジャン)は、水が得やすく緑豊かで、地方として見る限りもっとも人口の集中し ている地域である。今回地震の中心となっているガズウィーンはそのすぐ南東にあたる。
イランにおいて地震の多発する地域は、カスピ海岸、特に北西と北東である。したがって、イランにおいては農業生産の高い地域と地震の多発する地域は ほぼ重なっていると言える。このことは必然的に地震の被害を大きくしてきた。アーザルバーイージャンの中心、タブリーズはイル・ハーン朝(モンゴル帝国フ レグ=ウルス)以来、多くの王朝が都し、あるいは重要な機能をになってきた都市である。にもかかわらず、19世紀以前と思われるような古い建物は皆無に等 しいと言われる。それはひとえにこの地域に非常に多い地震と洪水のせいである。
イランの農村は、パフレヴィー朝末期の農地改革と、イスラーム政権による政策によって、農地の集積がほぼ解消しており、中小自営農民による経営が一 般的である。その結果、今回のような天災に遭遇した場合、地主による復旧やワクフによる互助復興も望めなくなっている。したがって復旧を担当できるのは地 方政府、中央政府のみである。1994年のホラーサーン地震では、内務省主導できわめて効率的な救援・復興が行われたが、財政的負担もまた大きかった。こ の地方の建築では、伝統的にあえて軽い日干し煉瓦を用いている。これは壊れることを前提とした発想である。崩れたらまた積み上げればよろしいということで ある。しかし人的被害や、農地の破壊は、また積み上げるというわけにはいかないのである。
過去の統計からいって、ほぼ5から10年に一度は大規模な地震に襲われることがわかっている(ここ10年は2年に一度)。にもかかわらずイランの災 害保険の整備は、非常に遅れいている。これはイスラームの予定説的発想を単純に解釈してしまったからである。確かに保険という制度は、神の為した天災に対 する「抵抗」に見える。しかしその天災から生き残った人々を援助することも、イスラーム法上定められた義務である。保険に対する解釈はこの二つの間を揺れ 動いている。イランはシーア派であるためエジュティハード(イスラーム法解釈)が認められている。近代保険制度に対するイスラーム政治思想的裏付けが緊急 に求められている現在、エジュティハードの積極的活用が必要であろう。これはひいては現代政治思想のイスラームへの連結にもなる(あるいはこれこそが危険 性とみなされるかもしれないが)。