京都へ!――

ようやく京都に行く暇が出来たので、突発的に出発する。朝まで昨日のパーティのワインを飲みまくり、もののついでのように荷造りをして、浜松町へ向かう。朝7時。

さくさくと乗り換えをこなし、当然の顔をしてチェックイン。まだ帰省にははやいようで、余裕。+¥1,000のレインボーシート。JAS贔屓はこのためといってよい。旅は身軽さとフットワークの軽さが大切だ。それから微妙な快適さにお金を惜しまないことも。

機内でやや声がかれていたことに気づいたので、風邪薬をお願いする。大阪までのフライトはあっさりとおわって午前10時半には伊丹にいた。空から京都に入るのは案外めんどうくさい。普通ならバスでいくのだけれど、ちょっと探検の気分で、モノレールに乗ってみる。これまた色々ルートがあるのだけれど、南茨木で阪急に乗り換えるルートをとった。その後、高槻市で急行に乗り換え。さらに四条烏丸で地下鉄に乗り換えたので、都合3回の乗り換え。これはバスのほうが便利。微妙な安さは気にしない方がいいみたいだ。昼前には友人宅のある烏丸今出川に到着。

したのだが、どこに行くかあまり考えていなかったためもあり、かなりだらけ、気がついたときには寝ていた。起きたのが、夜の九時でほとんど因果。

「映像の世紀」をあれこれいいながら見て、ネットにつないで……という東京のスケジュールをそのままこなしたような夜を過ごしてしまう。気づいてみれば、空も白んできていて、やっと眠くなる。なんともやりきれないとおもいつつ、また寝た。

クリスマス当日

というわけでカラオケをやってクリスマスは明けた。牛丼を食べて、家に帰って寝る。なみだもの。夕方にケーキを予約していたから、ケーキをとりに行ってくる。クリスマスパーティーをすることになってたから。

ところがドタキャン連発で取りに行ったときには予約は0。猛烈に悲しくなって、一人で泣きながらケーキを食べようと思っていた。けれどもあまりにも自虐的だし、それを喜んでいると思われるのもしゃくだったから、携帯で召還をかけまくり、なんとか人数を確保。やっぱり楽しくなくっちゃ。

というわけで、一晩楽しく過ごしました。

意外にどうでもいい日としてのクリスマスイブ

クリスマスとは所詮はキリスト教の祭りであるから、自分には無関係だ。八百万の神のほうがよっぽど大切 である。というのは嘘だ。去年指摘したとおり、クリスマスの祭りはとっくの昔に換骨奪胎されて、いわゆる「冬至祭」になっているということを忘れてはいけ ない。太陽の運行に関わりのある「非日常」。これがクリスマスの意義であろう。

私はこれといってやることもないので、暇を飽かして新潟に雪を見に行こうと思い立った。ところが起きたときにはとっくに日は傾いており、これはまずいと思った。北海道に行きたかったぞ。

とはいえ、である。祭りはないよりあったほうが楽しい。丸の内のライトアップも見逃す手はない。イブの夜に「映像の世紀」を見ているのも因果だし、 「クリスマス・オラトリオ」なんぞ聞いてるのも因果。しかし最悪なのはひとごみに揉まれて、まずくて高い料理を食べること。日を一日ずらすだけで楽しく過 ごせること。こちらのほうが私はよい。しっかし、世の中暇なやつがうじゃうじゃといるものだ。

というわけで用事を済ませた後、なんとイブの夜に三田まででかけてカラオケをやっている私は何者か?

いよいよクリスマスが終わる

こういう雰囲気の中で誕生日を迎えられる平成の今上陛下はどのような御気分でいらっしゃるのかはなかなか興味深いところではあるが、我々には伺い知ることはできない。今年六十六歳。平成十一年。なんと長い昭和だったのだろうか。この上は陛下のご長寿をお祈りするほかなかろう。これまた興味深いことだが、右翼は二十一世紀最初の天皇陛下という意味不明な喜び方をしていて失笑の至りである。

そういえば勧銀、興銀、富士銀の統合三行は「みずほ」の名前を関して「みずほファイナンシャルグループ」とするそうである。悪いネーミングではないが現在の「みどりの富士」のロゴが大好きな私としては悲しい。カタカナにならなかったのはありがたいが。どうせなら「瑞穂」として欲しかった。特急「みずほ」も消滅してしまったことではあるし。

東証のマザーズがスタートした。よい試みであるが、例によって初値はつかず。ITバブルという声も挙がっている。投資家にはよりいっそうのリアリズムを浸透させ、激動の歴史の証人足らざるようにお願いしたいものである。

「映像の世紀」再放送を歓迎する

NHK総合で95年作成の「映像の世紀」がアンコール・再放送されている。タイトルの字の使い方のうまさ、加古隆の音楽の溶けこみ具合、非常に良くできた作品であることはいうまでもない。今年から「世紀を越えて」が放送されているが、まったく5年前という古さを感じさせない。

私たちはこれまでだいたいの歴史を「字」によって認識してきた。それが映像というものを通じて再認識できるのだ。映像の魅力はその映像のピント以外の場所まできちんとそのまま描き出してしまう、ということである。第一次世界大戦・塹壕戦の実像がはっきりと浮かび上がってくる。その映像のはしには後に有名になる人物――たとえばマッカーサーやヒトラーが意図なく映し出されているのだ。非常に有意な社会史史料ともいえる。

第二回を見た。エンディング。ウィンストン・チャーチル卿の言葉は私の胸を突いた。この番組は、まさしく映像による現代史全集といっていいだろう。願わくば最後の5年分を編集して欲しいものだ。

夜生きて、昼寝ている。だいたい起きるのが十六時頃。一体に社会はまだまだ太陽に縛られている。当然のことではあるが、しかし、終電なるものによって束縛される都市にこそその制約が大きいことを思い知った。もっとも案外に終電から初電までの時間というのは四時間足らず。その意味では夜はあまりにも短いとも言える。

「富士見二丁目交響楽団シリーズ」の新刊が出たので、早速購入。すでにJune小説の狭い枠は突破できたであろう。いつも言及しているとおりこの物語は「成長」の物語だ。音楽と個人の関係、個人と個人の恋の関係、育ってゆくオーケストラという人間のネットワーク、人と人を媒介するメディアとネットワーク。この物語の世界はさらにリアリティを高め、いよいよ次の第四部からヨーロッパの音楽シーンへと舞台を移す。ますます展開が楽しみな一書である。

ところで「炎の蜃気楼」シリーズの新刊も24日に出るそうだ。あまりのタイムリーさに笑いをこらえることはできない。さすが集英社である(笑)。ここのところアルスラーンやグインの新刊も出ており大長編大好き人間の私にとってなによりのプレゼントが続いている。

払暁の京浜を望む

昨日のSFC忘年会に出たせいで、朝帰りである。5時5分の相鉄いずみ野線を利用、横浜に出る。地上に出てもいまだに暗い。さすがに冬至である。横浜に至るまでずっと暗かった。暖房がきいていたが、駅に着くたびに外から冷気が吹き込んでくる。冬の朝。

横浜で京浜急行に乗り換える。6時くらいをすぎ、鶴見を出てようやく海のほうが明るくなってくる。赤い。暗い空には明星が光っている。このグラデーションの美しさはなかなかである。羽田の始発などでも同じ光景をみることができよう。京浜の煙突の林立する海の向こうからもやはり日は昇ってくるのである。朝は不思議と夜と違った活力を秘めている。私が徹夜していたとしてもやはりこれはうたがいえない事実であった。

もっとも風の冷たさは否定のしようがない。家への距離を思い出すと窓を見る目もなぜかしら遠くなる。

表現の手段は遠のいた。素直さを求めて……

本来自分にとって喜ぶべきことがあったとき、喜びの感情は自然に湧いてくるべきものである。

ところが、自分の行動の結果を、常に見通そうと努力していると、見通しを考えるうちに、喜びはやがて苦しみに、苦しみはやがて喜びに容易に変化しうることを知ってしまう。出会いは別れを、別れは出会いを予感させる。おそらく、これを無常観というのであろう。

結果の予見は感動を薄める。ダイナミックなシステムが介在し変化することへの感動は常に持ち続けることが出来る。しかしながら自分の生に密接な「自分にかかわる感動」は薄れてゆく。驚きを持つ者は常にいくばくかの純粋さを持つ、という。私とは一体なんなのであろうか?

いいかげん忘年会はよい

前後一週間ひたすらに忘年会が続く。これまで3つこなしたが、いい加減飽きてきた。もちろん魅力的で尊敬する人々に囲まれて酒を楽しむことはいいことだし、別にそういう人たちとでなくても酒の席は人間観察ができて楽しい。しかし飽きた。

いったい、忘年会とは何か? この歴史を私は知らないのだが、こうも忘年会を口実に山のような飲み会をやっていると、なぜ普段は飲み会の口実を作るのに四苦八苦しているのか疑問になってくる。節句だってあろうし二十四節だって、国風の旬節だってなんだってあるではないか? 人はよく私をまつり好きだというが、いくらなんでも、ここまで集中的にどこもかしこも同じ「忘年会」をネタに飲み会をするというのはいただけない。もっと普段の飲みを楽しもうではないか。

友人だのなんだの人に対する独占欲が強い私としては、人が大勢集まって親睦を深める忘年会はいただけない。私を猛烈な不機嫌さに突き落とす元凶といって過言ではないのだ。これが本音。

待ちの一手

ある意見の表明には、その意見の根拠を説明する義務が伴う。

ここで問題となるのは、その説明の義務は説明を求められてはじめて応えるべきものなのか、あるいは事前に説明しておくべきか?ということである。この際にリアクションを期待してのアクションであれば、後者をとるべきだ、というのは現実的かつ当然の解釈である。一方で、純粋に学的かつ歴史学的にリアクションを期待している場合、前者であるべきであろう。

もう少し、解きほぐして書こう。つまり、リアクションのうち、自分が表明したある意見の正統性を、相手に検証して欲しいときは、意見の根拠を説明し、反論してもらうことが必要となる。一方で、ある事象に関して、反論ではなく、相手の意見・考え方そのものを知りたいときには、自らの意見の根拠をいちいち説明するのは、相手の考え方そのものを自分の枠におさめてしまう危険性がある、ということを言いたいのである。

これはジャーナリズムの問題と同様である。つまり自らが完全な「第三者」「第三の権力」としてあるべきなのか、どうかである。私は「第三者たるべき」と考えてしまう傾向がある。第三者の目から見た場合、あまりフェアにみえない。フェアに見えないのだが、当事者は歴史たり得るのか、史家たりえるのかという現代史的問題に直面する。

で、最初に戻るが、この現代史的問題に答えが見いだせない限り、とりあえずは意見を表明しておいて、相手の意見を待つという「待ち」の手に出ざるを得ないのだ。もっとも社会史的レベルの日常にこのような論理を適用すること自体が正しいか、という問題を含んでいることも知っておくべきだろうか。

京都に行きたしと思へど

京都断念

一昨日まで、三田祭が終われば、私のすべきことはほとんどなくなるはずで(もっとも三田祭前後のやるべきこともほとんど無視していたのだが)、そうしたら京都に行こうと思っていた。ところが、である。やるべきことをやらなかったので、それが二倍になって帰ってきた。私が東京にいる必要性など本当はどこにもないのだが、情理的に色々考えると東京に踏みとどまらざるを得なくなってしまった。

責任が居場所をしばる。インターネットを通じて、だいたいのことができるようになりつつある今、居場所にこだわる必要はほとんどない。プロジェクトにとって、私が東京にいることのメリットはいったい何なのだろうか。これが逆恨みで自分に責任があることはわかっている。しかし。断念してしまった京都、晩秋の京都。悔やみきれない。

その他

ここ数日

本当は、塾生新聞は入稿前の一週間から発行までが一番大変という一週間前ルールがある。これを考えれば一番忙しい時期なのだ。なんだかんだと振り回され、授業に出ないのに毎日三田には行くという毎日。朝方に寝ているので、出かけるのは必然的に15時頃となる。三田駅について地下から出てくると、晩秋の暮れ方の空と、落ち葉が最初に目にはいる。夕方から活動しだしたことが実感されて、ダメダメな感じだ。

ニュービジネスフォーラム

日経のニュービジネスフォーラムに行って来た。考えてみれば隙間ビジネスなどいくらだって、チャンスがある。私だって売れるアイデアはいっぱい持ってると思う。あとはチャンスのうまい捉え方、実務のノウハウ、資金のチャンス。これである。

三田祭を終えて

お題で韻を踏んでしまった(「編集期間を終えて」)。このようなことに、わざわざ言及するのは、他になにもなかったためである。いや、むしろ、何もなかったとしか感じられないような生活をしてしまった、ということである。完全に虚脱してしまっていて、やらざるを得ない立場に追い込まれた仕事さえ、ほとんど無視して過ごしていた。何をしていたのか、と問われても本当に何もしていないのである。

たとえば、電話がかかってきても「また連絡する」と言ってほったらかす、というようなことを繰り返した。信用をどんどん失う行為だと言うことは知っている。でも、私は大変に傲慢になってしまったのだ。「相手が再度連絡してこないということは相手がそれほど私を必要としていない。相手との縁は所詮その程度のもの」と考えてしまっている。「その程度のことで私を見捨てるなら、そんなやつは私にはいらない」という、とんでもない傲慢さなのである。

と、分析しながら書くと上記のようになるが、要は面倒くさがりやということだ。来月号の取材に関するアポ取りも、ほったらかし。焦りつつほったらかし。私に自律性をつけるにはどうすればよいのだろうか。

昼過ぎに起きて、近くの喫茶店で珈琲を飲み、サントリーホールでコンサートを聴く。終演後、お茶を飲みながら本を読み、家に帰って寝る。こんな生活を4日間連続で繰り返したのだ。私自身はとてもリラックスしていたのだが、約束をやぶった諸君には悪いことをしたと思う。

オルセー美術館展に行ってきた

国立西洋美術館で開かれているオルセー美術館展’99「近代の夢と現実」に行って来た。展示品の知名度から言えば、モネの「睡蓮」などを擁する常設展の方が圧倒的に有名だが、「近代」をうまく並べ、芸術からみた近代ヨーロッパを見るには好都合であった。

芸術の世界は非日常的である。すくなくとも近代以降は作家自身そう自覚している。世界の政治、社会の流れてゆく方向にいち早く気づき、その非言語的な部分を、芸術家はみずから「うつろえる民」として作品にあらわす。

企画展のおしまいの方に並べられる家族の肖像。そこには一見、平和な日常が描かれているように思える。しかしこの企画展の出口に待ち受けているのは 第一次世界大戦という想像を絶した戦争だったといえる。二度の世界大戦の前に実際に近代は崩れ去った。その幸福なひとときに一抹の不安を感じ、絵に表して いったのが芸術家たちである。

都市の設計図には、きわめて合理的な美しさがあるが、その完璧なまでの対称性はどこか危うさを含んでいる。歴史的な「当時の目」を知るには格好のチャンスであった。

もっとも個人的には三田祭発表のノルマを逃れ、幸福なひとときを過ごすという意図があったことはいなめない。上野の森はいつも優しく受け止めてくれるが、出てくるときの苦痛は筆舌に尽くしがたい。

編集期間を終えて

この日記にはよく編集期間という言葉が登場する。私は学生新聞を作っているわけであるが、そのおおまかなところを書いてみたいと思う。

私の新聞は月刊紙である。またそれほど大がかりな組織であるわけでもないので、企画/取材から版下の作成レヴェルまで編集が負う。発行日の約1ヵ月前に編集会議がある。ここでネタを決定/実行に移す。そして発行日の約1週間前から編集期間となる。

編集期間,まず記者から電子メールで記事が集まる。これを校正していると瞬く間に、一日二日はたってしまう。しかもお互いに主張することがあるので非常に疲れる。

でこの時点でそれぞれの記事の行数、広告の段数などを考量して、レイアウトを行う。一般に記事の添削はレイアウトと同時進行するのでほとんどパズルであり、大抵徹夜して行う。なんとなくレイアウトが出来ると、こんどは見出しをつけたり、写真を入れたりする。きっちりと大きさを決定し、中身を考え、トリミングして指定する。これまた頭を使うので疲れる。で、これはレイアウトが終了した早朝に行う。終わるといよいよ印刷所に入稿。しかし普通この段階でまだ取材していない物もあるのでいわゆる「アト出し」扱いして、こちらの取材もする。もうやるべきことが頭の中でぐるぐるしていて猛烈な忙しさとなる。

翌日夕方、出した原稿が紙面に貼られる前段階の稿として「小ゲラ」が出てくる。ここで細かい直しや行数をレイアウトに納めることをする。これが終わると夜で、次の日にこれを印刷所に朝一で入稿する。午後には新聞に貼られた形で出てくるのでここでも細かい訂正や、写真の貼り込み、ロゴの作成などをいろいろこなす。で、これを二日間続けるとようやく責了となる。

「後出し」の分が、埋まっていなかったりすると悲劇で、時間との戦いに猛烈に追われることになる。しかも昼間にやるので授業とのかねあいなどから人の割り振りも面倒くさい。今月に限っては、授業は全部棚上げした。また朝日新聞の「天声人語」のようなものも書かねばならない。

夕方に予定より遅れると発行日のずれこみになり、広告クライアントに迷惑をかけることになるし、かといって紙面の校正をいいかげんにすると誤報を量産することになる。一般に編集期間が終わると猛烈な疲労にとりつかれるのが常である。

そして編集会議はだいたい一月まえと書いた。その通りで今回も責了翌日に会議があった。私の頭は内乱状態である。

しかしわたしはゼミで「三田祭発表」なるものを抱えている。これから図書館に埋まりこむ。また来月は冬休みの関係で二週間の間に全てをこなして新聞を発行しなければいけない。やりたい改革を実行する暇などどこにもない。これはモチベーションの低下に繋がっており、大変に苦労している。せめてやることは二つまでに抑えたい物であるが、研究や語学の勉強なども絡まり10以上はまったく別のルーチンの仕事を抱えているといっていい現状である。

とにかく今は誰でもよい。人に甘えてやわらかな日差しの中、ただただ本を読み、音楽を聴いていたい。

再び編集期間

ここ1週間、私の脳細胞の働きの殆どを占めていた『単一民族神話の起源』を読了した。なんとも膨大な書物であって、しかも結論は単純明快。とりあえずの感想と大まかな筋くらいは読書記録に入れることを考えているけれど、きちんと整理した知識にするには参照しながらノートをとることを三度は繰り替えさなければならないだろう。

本の重みというのは、ページ数には換算できない。読む側の受け取り方もあるけれど、書き手の圧縮の仕方にもよる。上記の本は、なにしろ圧縮率が高く、ページ数も多い強者である。その注たるや二章分の量があった。

朝起きて、九時頃から十九時までずっと学校に行っていた。まともな生活への返り咲きである。図書館にこもってがりがりと他人様の仕事の手伝いなどをしていた。久方ぶりに活力が戻ってきた。私も研究に邁進したいと思う。晴れ渡った空はまさに出発を表してくれる。そのあたりを歩き回っても秋がひしひしと伝わってくる。屋内にいても冷え冷えと感じることがある。

就職の季節に

11月に入って、あちらこちらの就職情報サイトが始動しだした。

ここ数日は、これを眺めて、エントリすることばかりしている。就職の持つ意味はよく分かっていないが、様々なことを学ぶ機会になりそうな予感はある。しかしながら、その重要さこそがいやだ。なにしろこんなことをすることが大切というのは人材の流動性を否定していることでもあるし、学問の重要性を否定しているような来もするし、学生がなんにも考えていないことを示しているようにも感じる。

これを書いているときにテレビ東京のWBSで日産の新車種発表のニュースがあった。その名前は「バサラ」。なんと日本語である。日本製の車に滅多に日本語がつけられないことを考えれば驚きである。日本語の社名などがダサク感じられるのはどういうわけなのだろうか?スタイリッシュな日本語を流行らせてみたいものだ。「カンバン」とかじゃなくて(笑)。

そういえば今日の日経に一橋、東工大、芸大、東京外大などの提携が一面トップで掲載されていた。一種の大学アライアンスの決定で、まだ学長レヴェルの構想にすぎないとのことだが、教養教育の効率化や学際研究の進展が期待できる。これまで日本でこのような形がなかったことがむしろ不思議だ。わが慶應義塾は総合大学である。これらの動きに充分対抗できる専門性と情報力がなくては。

なんと無気力な一週間

秋祭のカラオケが終わったあと、家に帰ったのは昼間。で、寝たので、起きたのは夜。ぴったり12時間逆転。藤沢周平を読み、寝ることだけをひたすらくりかえしていた。日経を読むには読んでいたが、とにかく世間とのずれと世間から取り残される自分を感じた。

授業もひとこまも出ず。非常に反省中である。なにをしていたか、と問われるとなにもしていなかったというのが真相である。いったい何を考えていたのだろうか。

SFC秋祭に行ってきた

24日、SFCの秋祭に行って来た。秋祭はSFCの主催というわけではなく毎年、SFCの有志学生が秋祭実行委員会(秋実)を結成して、地域である藤沢市と共同で行っている行事である。私も例年秋祭を楽しむことにしている。今年は、フリーマーケットが大幅に増えており「地域の祭り」としての役割は徐々に高められつつあるように見えた。秋祭終了後の後夜祭では、落ち着いた雰囲気の音楽が演奏され、最後に花火、というパターンが定着している。あの夕方から夜への静かな移り変わりが新しい祭りのスタイルとして、すっかり受け入れられてきているのではないか。

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秋の涼しさ,夜の闇

最近たいへんに涼しくなってきた。ここ数日は秋の過ごしやすい日々が続いている。部屋に差し込む光がやさしく儚げだ。 夜にコンサートに出かける。その音楽に身を委ね、終演後に珈琲を片手に、友人ととりとめもなく話す。家に帰り、ネットワークで楽しむ。なんとも張り合いが なく見えるかもしれないが、私の思う愛すべき時間だ。コスタリカの馥郁たる香りに、ヨーロッパの秋を思う。ジャマイカの酸味を帯びたほろ苦さに帝国主義の 時代に生きた人々の姿を思う。

夜の暗さこそが、世界への想いの羽をはばたかせてくれる。

恋の気持ち

ようやく最近になって、恋の気持ちがわかるようになってきたように思う。異様に気持ちが乾くのである。などと書いているとひたすら恥ずかしさを覚え る。これまで他人様を好きになるなど、私にとっておそれ多いことだと思っていた。よって物好きにも「好きになってくれる」人しか相手にしないことにしてい たのだが、ここにきてエゴイズムを押し通してもいい気がしてきたのである。インモラルなことは十分承知しているにもかかわらずこの強制力はいったい何なの であろうか。

合宿終了……課題が山のように

イスラーム史のゼミ合宿が終わった。場所は三浦半島の油壺。東京から京急で1時間あまり。実は結構近い。が、やはり田舎の雰囲気というのは漂うもので、三崎口駅はともかく油壺までバスに乗って入っていくとそれがどんどん濃くなってゆくわけである。椰子などもあったりして南国風を漂わせようとしているらしいが、どうも失敗しているような感じ。

5日の午後に現地にゆき、その夜および6日午前が発表。さまざまな発表があったが、自分は「イラン・イスラーム革命は何だったのか? とりあえずは日本のジャーナリズムにとって」という論題。レジュメがない失策をしてしまった。5日の夜に出た鰺のたたきが美味。久しぶりに食べたわけで海鮮系の店を発見するという課題が出来た。午後9時から発表の予定であったが、先生がNHKスペシャルの大峰遠駆の番組を見たがったので、みんなでそれを見る。ゼミの大先輩が山岳系のテレビ・カメラのクルーで、松山局から引っぱり出されて、これを撮ったのだそうだ。遠駆は吉野から熊野までをさまざまな課題をこなしながらひたすら歩く-走るイベントで、役小角からの山岳宗教-修験道の伝統を引く。その厳しさはやはり想像以上。みんなでいろいろな感想を言い合い、たいへん楽しめた。しかしカメラマンのことを考えるとおそるべし。

6日は午前中に発表を行い、午後に油壺マリンパークに行った。朝には先生は「泳ぐぞ!」といって、すでに水着を着ていた(笑)。一番喜んでいたのは明らかに先生であった。水族館なんてものもひさしぶりにいってなかなかおもしろい。なんか色々いるので。でも、むかしの「レジャー」を引きずっている感じで、アシカショーとかは、やる方も見る方もお互いに気を使って拍手したりしているので気疲れさえしてしまって、大変だった。とにかく空いていたわけで、京急ももう少し何とかならないのかとも思う。

それからひたすら飲んでいた。うーん……。で、今日帰京。コーヒーが恋しかった。

ワールドPCエキスポが始まった。招待券はもらっていたのだが、行かず。日経の特集増補分を読んで満足した。やはり家庭にどれだけ普及するか、の問題なのだろうか。私たち学生はお互いメールで情報をやりとりしたりするわけで、企業などもそうであろう。しかし意外とまだまだ一般家庭への普及はしていないように思う。メールは相手がメールを見ることが出来なかれば、なんの意味もない。

この分野、新しいニュースが楽しい。そういえば朝日の「中国」連載が始まった。日本が唯一外電報道でも世界に太刀打ちできるとされる中国だけに、今後の展開が楽しみだ。