ふりかえると2006年初夏からほとんど更新していません。再開してみてもグータラでずっと放置で、そのうちコメントスパムがあふれだし、さらにやる気をなくして放置延長に至っております。そういうわけで、まとめ的にここ3年弱のまとめ、のようなものを書いておくことにします。
生息地変更
生息地といっても昼間の生息地のことです。10年近く三田に生息していましたが、2007年度から某西北方面の某宿敵大学に籍を移しました。06年度から西北方面でバイトをはじめ、07年度には籍を移し、さらに08年度からは任期付きながら常勤職に就きました(その結果、兼業規定にひっかかるため三田・地下でのバイトも卒業)。こう見ると3年かけて事を進めた筋金入りの売塾奴ですね。いまだに週に2日くらいは三田に夕飯を食べに行きますが肩身の狭い思いをし続けています。
で、この生息地変更に伴う変動というのがいろいろとあります。いや、本来あんまり関係ないのかもしれませんが、基本的に私のいろいろは環境に規定されるところが多いので。かわっていないのは、延々、東洋史学を専攻としながら、コンピュータやネットワークで身銭を稼いでいる、という矛盾した状況だけ、ともいえそうです。今年度に至っては業績すら専攻外のもののほうが多くなっちゃいました。大問題です。大問題ですが、仕事だし、仕方ないかな。
読書傾向
3年くらいまえまでは、読了にあるように、雑食気味ながらかなり色々な本を読んでいました。これはどうやって実現していたかというと、三田・地下で毎週ゲットできた日販図書館情報サービスの『ウィークリー出版情報』という雑誌によるものでした。これは一般的な流通ルートによる、ほぼ全ての新刊書が掲載される雑誌で、図書館の選書セクションなどではおなじみの刊行物です。『ウィークリー出版情報』で新刊を確認してリストを作成(これが読みたい本リストでした)。そのうえで学術系は大学図書館で、そうでなければ港・文京・都立の各公立図書館で借りて読んでいたのです。
ところが、私が西北方面にいったこと、それから地下の人事異動で『ウィークリー出版情報』を取っていた方が矢上に転出されてしまったことで、同誌に接することができなくなってしまいました。一度やり方を確立してしまうと、ほかのやり方を試すのも面倒で、新刊リストに目を通すことができなくなり、結果として乱読傾向はほとんど陰をひそめてしまったのです。
で、ここ1年読みまくっているのが集英社のコバルト文庫です、なぜか。昨年春あたりに「マリア様がみてる」シリーズにはまったのがきっかけでしょうか。思えば、小学校・中学校のころは、まとも系文学に田中芳樹とか栗本薫とか水野良の古典的ライトノベル(いまのような萌え萌えとした意味合いはなかった)を読み、高校時代はやおい小説(いまのボーイズラブとは少し違う)と新書本を読みまくり、学部時代は海外ファンタジーと研究書を読み、院生になってからは超雑食と変な読書遍歴です。
そしてここに来てコバルト。もう、難しい本に食指が伸びず。また毎日かったるそうに生きてる男子が主人公+萌え系な電撃とか富士見ファンタジアみたいなのは全然そりがあわず(「涼宮ハルヒ」とか全然だめ)。というか、属性とかで「キャラ立ち」させてるのが、なんかヲタ(自分もヲタだが)の変な承認願望だの性的視線が透けて見えてキモチワルイ。そういうわけで、とにかくひたすらコバルト。けれど1年読みまくっていると、もう既刊の半分くらいは読んでしまっているはず。玉石混淆な少女小説文庫にあっても「玉」のほうはもうあらかた読んでしまっている予感があるわけで、これから一体どうなるのだろうかと不安です。
読み尽くしたら、ファンタジーに立ち戻って、未訳のものを英語でそのまま読むとかがんばれちゃえばいいなあ。いや、専門のものやれ、という話はありますが。でもなぁ。もう、世界とか社会とか、あんまり興味がないんですよね(ホントか?)。ダメなときは何をやってもダメ。どうせダメならコバルト読んで酒飲んで寝よか、ってなものです。
ひきこもり願望の加速
毎日みんなでワイワイしたかった学部のころがウソのように、人嫌いが加速してます。いろいろな人にあいたい、そして時々、その人たちの力になれるのがうれしい、そんな時代がありました。もういまや、なるべく新しい知り合いは増やしたくありません。1人ふえるごとに変なしがらみと面倒ごとが降ってきそうな予感というのがあります。
それどころか、そもそも知らない人と話すのがイヤ。なぜかここのところ機会が増加している立食パーティーなんてのは最悪でひたすら時間が過ぎるのをビクビクして待っていたり。同じ牛丼屋でも、吉野家は食べ終わったときにどのタイミングで店員さんに声をかけて支払いをするか、そのタイミングを計るのが実に億劫なので、黙って食券を出せばいい松屋のほうが好き。知らないお店にも滅多に入らなくなってきていて、ファミレスとかファーストフードのほうがはるかにくつろげたり。
もう典型的「非コミュ」ですね。ということで、非コミュ指数をチェック。やってみたら0でした。あれ? あるいは。「しゃべりたくない」のではなくて、しゃべるのも面倒なだけかもしれません。ご飯食べるのも一人だと面倒でやる気なくすし。腹が減る自分に腹が立ったり。とにかく、なんかやんなきゃいけないこととか、何時にどこにいなくちゃいけない、とかそういうのが増えたことへの反動なのかもしれません。社会的に見たら、どう見ても好きかってしてる部類に入るでしょうが、それでもなんか束縛感がすごい。
ほんと、メールと電話は勘弁してください。誰かのいいぐさじゃないですが、早く引退したい。
お出かけ増える
ひきこもりしたいのに、一昨年からむやみやたらとお出かけが増え、昨年後半はほとんど異常ともいえるほど。これも環境変化の影響です。
2007年の3月にイタリアへ1週間。約8年ぶりの海外でした。以降5月から6月に3週間ほどイランとドバイ(3日)。8月の一番くそ暑い時期に1週間弱、京都。12月から1月にかけて1週間パリ。
2008年にはいって、やたらと出張が多くて、6月に資料あさりに1週間半ロンドンとパリ(3日)。8月に旅行で2週間半ドイツとパリ(2日)。9月に学会発表で京都。9月から10月にかけて運び屋で2週間半テヘラン。10月末に資料あさりに1週間ロンドン。11月半ばに研究会で神戸。後半に学会で1週間ワシントンD.C.。12月半ばに学会発表で北九州・福岡。年末に旅行で1週間半ドイツ。
とにかく忙しかった。おまけに6月のロンドンのときは、1[[STG]]=200JPYくらいで計算しないと出超になるくらいだったけれど、いまや120JPY。世界的不況を体に感じながら歩き回った1年でもありました。これからも3月までに少なくとも2回は国内出張(札幌と大阪か京都?)と上海行きがあります。さらに逃亡生活的にヨーロッパに逃げるかもしれません。引きこもりたい人がやることとは思えませんが、国内にいるとメール返信したりとか電話に出たりとかが期待されるので(海外にいても期待されましたが、まだ言い訳できるだけまし)、そのせいか。んー。
使用機とかの遍歴
ずっとまえにこれまで使ってきたPCとかを書いたことがありましたが、その後。って、これ8年前か。ちゃんと思い出せるかどうかわかりませんが。
SONY VAIO PCG-SR9M/K
2001年8月〜。この子をメインマシンとしていたのは2004年の春くらいまで(たぶん)。その年の夏から留学に出たSさんにお貸しして2年間のテヘラン生活を経て、私のもとに戻ってきていますがいまだに故障もせずに動いています。VAIOとは思えない。いまはサーバのコンソールみたいな扱いになってます。
IBM Thinkpad X31/D9J
2003年8月〜2006年晩秋。すばらしいマシンでした。B5モバイルながら増設バッテリを使えば10時間弱の動作で、パワーもそこそこある。この頃が一番コンピュータとネットワークを使っていた時期なのではないでしょうか。最後はマザーボードが焦げ付いて修理に9万円掛かるとのことであきらめました。部品取りに使用。
iMac G5 – 20インチ1.8GHz
2004年11月〜。初Mac。家で母艦的な使い方してます。HDDは何回か交換。もう4年以上つかっているんですね。随分と使い勝手が良かったのですが、昨年末にバックライトがへたり掛かったので(全面切れではないので、やや暗い程度で使えています)、そろそろ入れ替え期。はてさてMac Proが出るのが先か、iMacの新しいのが先か。
MacBook Pro – 15インチ2.33GHz
2006年11月〜。予算もの。Airを買うまで1年半、このマシンをメインに持ち歩いてました。毎日3kg近くを持ち歩いていたのだから、私もスゴイ。このときからWin環境はパラレルズに放り込まれることに。ただ、このマシンはとにかくぶっ壊れまくりました。何度も何度も修理されており、ロジックボードですら3回も交換されてます。ケースや液晶も交換が入っているので、製造時の部品はおそらくもはや全くないのではないかと。こいつも今年で3年目か
MacBook Air – 初代/HDDモデル
2008年3月ころ?〜。MBP持ち歩きに慣れた後は軽くて軽くて。よろこんであちこち連れ回していますが、いまのところ快調に動いています。余計なものつっこまなければ問題ない。
ほかのガジェットだのなんだのはまた今度書く方向で。以上、最近の私の傾向でした。